あまり酒場に行くことはないから、昭和スクリーンの向こうの想像の世界だった「スナック」。カウンターがあって酒とつまみを出してくれてカラオケが出来るという店構え。そこに、ママがいて酌をしたり唄を歌う女の子が幾人かいる。
昔はそれとわかる看板がかなり目についたけど、こういう構成のお店はかなり減っている。とはいえ、都心からかなり離れた工場主体の街では、場末という言い方が相応しいスナックが今でもちゃんと生き残っていたりする。
普段に酒を飲む趣味の無い人間としては、ショットバーなどに行くこともなく。スナックなどと言えば尚更ない。そもそも、女の子が酌をしてくれる店というのは苦手なのである。だいたいだ。好きでも興味もない、サービスとして接してくれる女性にちやほやされることのどこが嬉しいんだろうか…
学生の時、内定をもらった会社の懇親会の二次会では、バニーガールの女性がいる店に行くのが常だった。胸の間にライターが挟んであり、たばこが吸いたいとそこからライターを取り出して火をつけてくれる。
同僚の一人は偉い感動し、俺もたばこを吸おうかな…と真面目に考えていた。田舎者の馬鹿丸出し…やれやれだ。
昔、キャバクラが好きだというクライアントがいた。その人に、無理矢理に渋谷のお店に連れて行かれた事がある。素性も知らず、好きでもなんでもない娘とその場限りの薄っぺらい会話をするという事を全然楽しめなかった。会話力でいけば、僕の方が断然ある。この頭の弱い彼女をなぜ僕は金を払ってまで無理な会話で楽しませる必要があるのか…さっぱり意味が見いだせなかった。
倉科遼の漫画に出てくるような品のあるキャバクラ嬢などいないのです。いたとしても、お金と時間を費やすだけ無駄無駄無駄。無駄なことは嫌いなんだよね。
スナックはそこまでべったり女の子が張り付いてくることはないので、気は楽ですが。
それでもやっぱり居心地の悪さを感じちゃう。そして、家に帰ると無性に寂しい気分になる。それは、酒の場に行くのなら、気心の知れた人との裸の会話を求めているからかもしれない。
そんな中で唯一記憶に残っているのは、ある工場常駐の案件があったときに行ったスナックの女の子。極めて普通の人だった。
歌を歌ってよ…彼女にマイクを渡されて1曲歌った。
『あなただったら、尾崎豊がいい。そうね…』
彼女が入れた曲は、"僕が僕であるために"という曲だった。もちろん曲はよく知っている。でも人前で歌ったことは無かった。
歌い終えると彼女はいった。
『やっぱり、合っているわ…』
確かに曲は歌いやすかった。僕は不思議な感覚に包まれた。
帰るとき、『また、お店に来てね…』という言葉が珍しく小骨のように心に引っかかった。結局、僕はそのお店には行くことはなかった。でも、尾崎豊が好きな彼女とは話を続けたかった気がする。