子供の頃から掌に大量の汗をかいてしまうのが悩みだった。試験だと答案用紙がふにゃふにゃになってしまう。遠足やフォークダンスでは手を握るのが恥ずかしかった。濡れた掌で不快な思いをさせたくなかったから。
左利きの多汗症というのは、ノオトを取る上では致命的だった。ただでさえ文字をこするのに、濡れた手では字が滲んでしまう。いつも掌が直接触れないように、間に挟む紙を携えていた。野球をする上では、バッティンググローブが欠かせなかった。
デートで女の子と手を繋ぐことも。付き合った相手の子は、誰もそんなことを気にしなかったけど、いつも心が痛んだ。
大人になって僕の症状は手掌多汗症という病気で手術で治癒するものだと知った。でも、治療することは考えなかった。僕の妻は、手のひらの汗のことなどまるで気にとめなかったし、時代はPC。ノオトを取るときだけ工夫すればよかった。
いつしか、掌が汗で濡れて困るということもなくなった。気がつけば、スーパーでサランパックを包むビニールを拡げるときにスポンジで指先に水を湿らせている自分がいたりする。年とともに体も変わっていくのだ。
そして何らかの身体的な問題というのは、自身が気にするよりも受け容れてくれる周囲がいれば気になる問題にならないということなのだ。