状態把握と解決を目的とした調査は、設問設計において仮説モデルをくみ上げたうえで行うことが望ましい。因果律の構造となるモデルを事前に考えて作る。適当に設問を並べ、あとで相関分析などを行ってモデルを作ろうなんて考えてはいけない。
それは、仮説なき調査でありまずもって何も導き出せないことが多い。
あるメンバーがアンケート調査について、膨大な結果データと格闘していた。彼女は溜息交じりにぼやくのだ。このアンケートを分析して何が導き出せるのかが分からないと・・こんな不毛な作業をして何の意味があるのか・・と。
設問と過去の報告書を見てみる。確かにひどい。膨大な量こそあるが、何が言いたいのかが分からない。ざっとみて問題点は6つ。
①設問が構造化されていない (主要指標と従属設問という構造的な関係性がない)
②仮説モデルを置かず、MECEでない設問が羅列されている(結果状態を聞いているのか、状態誘因行動をきいているのかが分からない)
③回答スケールが設問ごとにバラバラである (五件法などで統一がされていないため、相関分析も不可能)
④結果状態のロジックの妥当性が見えない
⑤レポートは設問結果の羅列に過ぎず、示唆を与える内容となっていない
PMと製作者に意図を聞く。プロジェクトはうまくいっており、調査もそれなりのものだと言われてきたプロジェクトにしては、残念な内容である。
すでに抜けてしまったPMからは、問題点の指摘に当時の経緯と合わせて謝罪のメールが送られてきた・・可哀そうなのは、この調査に協力した社員とゴミデータの分析に格闘する彼女である。分かっていて黙殺されたのである。
真実が明らかにされたことで、彼女の心のもやもやはひとまず晴らせたといえる。
だが、彼女の態度にも問題がある。そもそも、おかしいと思ったことをぶつくさ言いながらも耐え忍んでやるというのは、おおよそコンサルタントの態度じゃない。彼らと同罪なのだ。そして、おかしいと思ったならそれをきっかけにして、正しい姿を描くための学びをしようとしていないのは、全くなってない・・・。それじゃ、永遠に卑屈な作業者をやり続けるだけだ・・と。厳しいけど彼女にはそう伝えた。
だいたい、上の人が言ったから正しいと思ったのです・・とか。そういう自分の頭で考えない盲目的な人は付加価値ゼロなのだよ・・。久しぶりに、いろいろな人に吠えてしまった…
例え、誰が主張する意見であったとしても、おかしいと思ったらまずその「不」を表明する。その勇気というものを僕は新卒入社の動機の女性たちの態度から教わった。それは今でも生きている。
そして大事なのは、問題に満ちた腐海で溺れずに、あるべき姿という俯瞰した世界を見るためにメーヴェで上から飛ぶ。すると景色はまるで変わる。不満など出なくなる。学びは、自由な翼を手に入れるためにするのだから。