Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

非日常体験の意味

人は苦しかった経験、辛かった経験を早く忘れがち。喉元過ぎれば熱さを忘れる…その通りなのだと思う。

 


これはこれで、そういうものなのだと淡々と受け入れながらも、やはり松葉杖生活というのはしんどかった。運動ができるとか、できないとかそんなレベルじゃない。家の中で、モノを持って移動できない。ちょっとした移動が途方もなく時間と体力を要するということだったり。

 


装具をつけながらでも松葉杖を使わない生活となって、一週間ちょっと。松葉杖も先週末にメルカリで速攻で売却してしまった。なんか、自分がそんな生活をしていたことが幻のように思える。

 


そして、うちに装具も外れ僕は通常の日常に戻っていく。異常な日常に置かれた記憶は薄れていってしまうのだろう。それは、それでいい。でも、忘れないようにしていたい。忘れないようにできれば、何気ない日常であっても明るさのコントラストは遙かに上がるだろう。

 


22歳の時の『試練の旅』が終わったときもうっすらそんなことを考えていた。退院するとすっかり落ちてしまった筋肉のリハビリを始めた。最初は、10回くらいしかできなかった。少しづつ回数を増やし200回の三セットという習慣が残った。習慣は、試練の旅があった記憶を後につなげてくれている。

 


もう一つは、好きなことは先送りにしない生き方をすること。人は突然に日常が断絶し、何も選べない状態になることがある。だから、やりたいことは先延ばしにしない。心に素直に生きる。結局、この仕事を選び、キャリアをライフワークにしているのも、この時の非日常体験が原点にある。

 


今回の『ドット』はどんな意味を持ち、何につながっていくのだろう。一つ確かなのは、自分には偶然を必然に変えていける力があること。そして、『今、ある』ことへの意味と感謝をしていくことなのだろう。