Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

渇愛の重力

自分がこれだけ尽くしてあげたのだから、好きなのだから、愛したのだから…


相手に見返りを求めるのが人情。でも、交換の原則においてなされる行為は愛じゃない。瀬戸内寂聴さんは、愛とは無償のものだ断った上でこう言います。


『男女の愛でも、親子の愛でも、兄弟の愛でも。愛しているっていうのは、妹さんが言った一番確かな言葉は「お姉ちゃんの愛はエゴだ」って。これですよ。みんなエゴなの。愛してる自分を愛してるんですよ。自分はこれだけ愛しているから、相手もこれだけ愛してくれて当たり前ってね』


『自分が10愛しているんだから。相手はそれに利息を付けて12の愛を返してくれって、それがみんなの気持ちなんですよ。銀行だって利子が付かない時代に、何で利子が付きますか。だから、10愛して3返ってきたら良い方ですよね。返ってこないの。愛は無償です。あげっぱなし。あげっぱなしの愛でないと、これは本当の愛じゃありません』


でも、エゴの愛にとりつかれてしまった人においては、その重力から離脱するのはとても難しい。


渇愛ってものは恐ろしいものなんですよ。だからそんなにね、軽々と恋愛しないでくれって言いたいですね。そんなにね、軽々しくするものじゃないと思いますね。やっぱり、愛すると同時に苦しみが伴うんですよね』


そうなのですよね。でも、そうした出来事は事故のようにやってくるものだともいいます。そして、道を外れた恋愛に走った場合…純愛…それは、幸なのか不幸なのか分からない。なぜなら、その場合の無償の愛とは全てを失う覚悟が要求されるから。


『全部失うんですよ、純愛は。全部失うの。世間から指弾を受けるし、家族からは見限られるしで、全てを失うんですよ、純愛は。純愛を貫こうと思えば。それくらいの覚悟がないとそんなことしちゃいけませんよ。』


渡辺淳一さんの小説で私が一番好きなのは、『失楽園』なんですよ。あれはとても売れましたね。あれは結局心中しています。全てを失っていますね。全て失って愛を貫いた。もう馬鹿だ。とかね、情けないとかね、人は言ってもですね、それは仕方がない。あの二人は全て失ったんだから、許されるんですね』


肉体の重力から解き放たれないと、渇愛の重力から解き放たれて無償の愛に行き着くことはできないのでしょうね。僕においては、そういう事故がないのはある意味で幸いともいえましょう。