Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

寄り添うやさしさか、突き放す愛情か

相手にいつでも寄り添ってあげることが愛なのか、というとそれは単なる「やさしさ」であってときに「愛」ではないと思うのです。

 

弱さや辛さを抱えて一人では立っていられない人がいたとします。その人に対して、「やさしさ」という支えをしてあげることも必要でしょう。でも、いつまでもいつでも支えていることは出来ない。究極の姿は、自分の力で立てるようにしてあげることです。

 

このためには、支えをあえて取り去る。ときに突き放すということも必要になります。とはいえ、突き放すというのは難しい。なぜなら、相手の期待を裏切り、恨みや失望を当座は引き受けなくてはいけない。それでも、相手の中にある力を信じ、嫌われる役を引き受けていく。「愛」というのは自己犠牲なのですから、嫌われる役、恨まれる役を引き受けるということも含まれているのです。

 

いつかは、その意味を分かってくれるかもしれない。分かってくれなくてもいいのです。


会社と個人の関係、上司と部下の関係、男女の関係

 

相手の意向に寄り添う「やさしさ」を人間尊重の「愛」だと履き違えている事象に多く出くわします。でも、人間愛を標榜するのであれば、相手から嫌われてでも相手の中にある力を覚醒させる突き放す役割を果たしていくことが必要なのだと思います。とても苦い盃ですけどね。