Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

茶道と教会ミサ

利休が確立した「茶の湯」は、禅宗の流れを汲みながら、カトリック教会の聖祭(ミサ)にヒントを得たものであると言われている。

 

利休自身がクリスチャンであったかの証拠はないものの、「利休七哲」と呼ばれた七人の弟子で、高山右近、牧村兵部、蒲生氏郷の三人はクリスチャンであり、古田織部細川忠興もその可能性が高いと言われている。秀吉の軍師であり、利休に師事し茶の湯に精通した黒田官兵衛も敬虔なクリスチャン。

 

カトリック教会の聖祭は、最後の晩餐でイエスが杯、パンを手に取り「これは自分の血、自分の体であり、この儀式を自分の記念として行いなさい」と使徒に伝えたことがベースになっている。

 

茶道においては、ワインが「茶」に、パンが「菓子」に聖杯が「茶碗」に変わっただけと言ってもいい。儀式の流れにおける所作も似ているし、花も活けられており香も焚かれる。この共通性に気が付くには、茶の湯に通じるとともに、カトリックのミサに出た経験が必要になる。日本人においてはそうした人が非常に少ないというのはなんとも残念なこと。(歴史学者においてはそうした人はいないためあまり研究もされていない)

 

バチカンには茶道との関係性を書した文書が残っているようで、ヨハネ・パウロ二世が武者小路千家の家元に何れ公開すると約束したものの未だ公開されていない。ただそこで生じる疑問は、茶道においてどこで十字を切ったのかという事。あからさまに十字を切るような所作がビルトインされていたら、茶道は現代にいたるまで日本に残ることは無かっただろう。仮説を是とすると利休は巧妙に所作に組み込んでいるはず。

 

大学時代に専心した点前を一つ一つ思い起こしていくと、これはと思い当たる個所がいくつか出てくる。

①袱紗(ふくさ)で棗(なつめ)を清める所作(袱紗捌き)
②茶碗を茶巾で清める際に「ゆ」の字を描くように清める所作
③茶碗を温める湯をくべる前に柄杓を垂直に立て、肘を真一文字に構え静止する所作

③においては十字を目に見えるように形作っているといってもいい。

 

今年世界遺産に登録された長崎の教会群。隠れキリシタンたちが行ったオラショ(祈りの儀式)においては、茶道の点前と同じように所々に十字を切る箇所が隠されている。利休も同じだったのではないか。

 

茶の湯は現代においては宗教的色彩は全くなくなっている。けれども、宗教的な視点で見ると、その本質をローマよりも的確に捉え、進化させたものだと思う。そのもっとも秀でた点は、教会の考え方。

 

エスはローマのサンピエトロ寺院のような派手で豪華なものを教会の理想に置いているとはとても思えない。(悪名高き免罪符での集金活動の原因となったものだ)にじり茶道口で武士であっても帯刀が出来ない鄙びた茶室の方が理想の教会の姿といえるのではないだろうか。実際に新約聖書では「狭き門より入れ、広き門は滅びに通じる」というくだりがある。

 

まあ、個人的にはワインよりお茶。パンより和菓子(干菓子)の方が好きだというところではありますが。