Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

全ては幸せのため

中高一貫校の校長先生だった西神父は、朝学校に遅刻してきた女子生徒を見つけ、彼女に理由を尋ねます。『期末試験の勉強を毎日深夜までする中で、朝どうしても起きられなかった』と彼女は答えます。


「どうして毎日深夜まで勉強をしているんだい?」
『いい大学に進みたいと考えているからです』
「いい大学に進んでどうなりたいんだい?」
『社会人として幸せな生活を送りたいからです』
「だったら、起きられなかった理由に『幸せになるため』と書きなさい」


後日、彼女の担任が西校長に質しにきます。


『あの理由はなんですか?彼女は規則を守っていないのですよ。そのことについてなぜ問題にしないのですか?』
「じゃあ、なぜ規則を守る必要があるんだい?」
『それは、社会で生きていくためには規則を守っていかなくてはいけないのからです』
「社会で生きられると何がいいんだい?」
『一人で生きていくより、社会の中で生きられる方が幸せだからです』
「じゃあ、理由は『幸せになるため』でいいじゃないか」


素敵な人だと思います。こんな大人の元で学生生活を送ることができたなら、どんなに心豊かな大人になれることでしょう。そういう西神父は、小学校時代に反面教師とも言える出来事に遭ったそうです。小学校高学年のとき、西神父は母親を病気で亡くします。悲しみの淵にあった西少年。ある時、図画工作の時間に母の日にプレゼントするための絵を書きなさいという課題があったそうです。


西少年は、亡くなった母のことを思うととても絵なんて描けなかった。真っ白な紙を机に出したまま手を動かせない西幼年。「なぜ、あなたは言われたことができないの」担任教師は西少年を厳しく叱りつけます。


悔しくて悲しくて、俯いた真っ白な紙の上に涙がポタポタ溜まっていきます。担任教師が、事情を理解したのは、もうそれからずっと後になってからのことでした。西神父は言います。立派なおとなになるとは、物言わぬ相手が何を思っているのかを瞬時に「分かる(観る)」ことができる人なんです・・と。

 

そもそも、母の日のプレゼントとは、母親に感謝を示すことで家族が幸せな気持ちになることが目的です。あげる相手がいない状況で絵をかけなど、哀しくなるだけです。残酷です。子供の様子を見て、そんなことも分からないなんて愚かな大人です。いくら頭が良くたってダメです。


人が学び成長していくのも、規則があるのも、それは全て一人ひとりが幸せになるため。人はともすると、盲目的に手段を目的化してしまう。だから、『全ては幸せになるため』という点での検証がいつも必要なのだと思います。