Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

富の再配分システムの限界と哲学

国家の大きな役割は、古から富(所得)の吸い上げと再配分にある。そして、歴史的に見ると『革命』は所得の再配分システムが機能不全を起こし、市井の人々に不満が臨界点となるまで溜まったときに起きている。


フランス革命に代表されるブルジョワ革命、共産主義革命、資本主義革命・・全ては資本の再配分のあるべき姿の模索である。


マルクスによって提唱された共産主義は、一見理想的な再配分システムに思えたが、結局、再配分を司る国家、独裁政党が利権を独占し、個人においては所得を増加させるためのインセンティブが働かなかったため、経済停滞を起し破綻してしまった。


では、資本主義はどうか?


残念ながら自由経済、資本主義は、グローバリゼーションとマルチプル経済が進展したことにより、富めるものは幾らでも富む上に搾取もされない、貧しいものだけがガラス張りの徴税のもとで搾取される・・結果としての著しい格差の拡大という現実に直面している。このことは、ピケティが端的に指摘をしている。特に国家の徴税、再配分のための仕掛けが、前近代的でグローバルの単位で見ると抜け穴だらけなのだ。

 


特に大国では格差が著しく開いている。中国は、国家が圧政をしいて暴発を抑制している。米国もトランプ政権が打ち出しているAmerica's Firstは、結局国内の暴発を抑制するための方針に他ならない。どの国においても、資本主義という富の再配分システムの限界が見て取れる。そしてこれからは、限界に来た再配分システムのパッチワークを各国が模索することになる。


グローバルレベルで徴収と再配分を行う地球連邦政府というものが樹立されれば、話は別だが、ひとまずはトランプのように自国経済の最適化という振り子に回帰するのも致し方ない。そして、グローバルからナショナリズムに傾いた中では、大国が自国に利益誘導させるため軍事力が依然として有力なカードになる。

 


うまいこと修正資本主義という形で、仮に今の課題を解決することができたとしても、結局また同じ理由で破綻することは分かっている。それは、倫理観や哲学のない人間が、市場の法則性や税制に知悉すると、結局自分だけを富ませる行動を取ることになるからだ。


日本では、未来と他者に再配分することを説いた経営者は多い。古くは、近江商人の三方良しに始まり、出光佐三吉田忠雄に始まる起業家の雄たち。宗教に近いまでの哲学をもった経営をどこまで守っていけるのか、それを国家レベルにまで昇華できるのか。特定の宗教の縛りがないにも関わらず、倫理観と哲学性に富んだ日本には、その仕組をリードできる資質があるはず。そう、必要なのはシステムではなく、人としての理想となる生き方の哲学なのだと思う。

 

先日の、教授の講演をきいた僕の感想です。