Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

異動辞令は音楽隊

音楽隊の演奏が好きで、日比谷公園に機会があると聴きに行きます。そんな音楽隊をテーマにした『異動辞令は音楽隊』。コンプラを無視した厳しいスタンスの捜査が信条の主人公が、左遷ともいえる異動辞令を受けたのが警察音楽隊

 


阿部寛さん演じる主人公は、幼少時代に和太鼓の経験があるという以外は、音楽に関してはズブの素人。そんな主人公が30年の刑事キャリアから、パーカッショニストとしてトランジションしていく葛藤とそれを支援する周囲との交流を描いたヒューマンドラマ。

 


孤高の刑事で、家庭生活も破綻。娘とも心を通わせられない。シングルマザーの同僚である清野菜名さんが演じるトランペッターとの出逢いにより、周囲の人間との交流を恢復していきます。

 


猛特訓を積んだ阿部寛さんの名ドラマー振り。娘さんとのセッションや清野菜名さんとのセッションシーンがグッと来ます。

 


喪失感から怒り、虚無感という葛藤を乗り越えた主人公。孤高の刑事から、いつしか様々な人々を繋げる中心的な人物に変わっていきます。

 


音楽の力とともに、キャリアトランジションの過程や大事さを教えてくれる素敵な作品。味のある阿部寛さんは勿論のこと、凜とした清野菜名さんの演技も光りました。異動や役定を抱えた中高年男性には、キャリア教育教材としても見てもらう価値ありです。

 

https://gaga.ne.jp/ongakutai/about/

ザ・ファーム

1993年に公開されたトム・クルーズ主演「ザ・ファーム」。

ハーバードロースクールをトップ5の成績で卒業。判事の下で助手を務めた主人公は、大手のファームから破格のオファーをいくつも受けます。並み居る名門ファームの誘いを蹴って、メンフィスにある税務専門ファームに年収10万ドルで就職。そこはマネーロンダリングを行うことで巨額報酬を得る不正が行われている組織だった・・


トム・クルースが演じた弁護士は

・ハーバードロースクルールを卒業
・しかもトップの成績
・判事助手の経験も持っている

・入社後の司法試験は一発合格

 

その上で、名門ファームに高額の報酬で入社するという権利を獲得している。(年収10万ドル、低金利の住宅ローン、ゴルフ会員権、メルセデスの新車・・wow 30年前の話だぜ)


ちなみに。あの人は
・名門大学を推薦で入学して卒業
・実務経験も持っていない

・入社後の司法試験は2回不合格

 

よって、名門ファームに入ることすら本来は不可能なのです。無論、高額の報酬など手に入れられるはずもありません。


新人で僕が入社したPriceWaterhouseは、会計事務所のコンサルティングセクションであったことから、会計監査セクションにおいては、会計士資格(CPA)をもっている人たちが仲間だったりしました。


公認会計士試験に合格をすると『会計士補』。一定の実務経験を積んだ後に、会計士になれるわけです。ですが、会計士試験に合格できないままに、ファームに入社をした人もごく希にいたりするのです。その人たちは、働きながら会計士試験の合格を目指すのですが、その道はかなり厳しく。会計士資格を持たない以上は、マネージャー以上に昇格することも叶わず、最終的にはファームを去っていくことになります。


僕の場合は、コンサルティングセクションだったので、会計士や税理士試験の必要性はありませんが、厳しい世界だな・・と横目で見ていて感じたわけです。コンサルティング部門に異動という手もあったりしますけど・・


トム・クルーズの『ザ・ファーム』の内容を思い起こすと、あの人って、これからどうなるんだろう・・と。デビューイヤーに見た映画を久しぶりに思い起こしてしまったのでした。

声楽vsポップス

正統の声楽をやっていた人というのは、正しい歌い方しか認めなかったりするわけです。そしてポップスなんて歌わなかったりします。なぜなら、ポップスの歌い方は地声だったりするからです。


先日、永嶺さんと会ったときに
・オペラ歌手の歌い方は、誰だろうと同じようにしか聞こえない。ある意味で没個性なので好きではない
・ミュージカルをしている仲間内でカラオケに行くと、クラシック縛りみたいな形になって、ポップスを歌うと揶揄される


と聞いたので、ある意味分かるな・・と思ったのです。


僕も、普通に与えられた声を活かし歌うことが好きであったりするわけです(まあ、どれほどのものかはさておき)これこそが正しい歌い方だ・・とか。この声の出し方は間違えている・・という正統派の意見は尊重こそすれ、それはそれと思うことにしています。なぜってその人に僕は師事しているわけじゃないから。


そういうことを言うのは声楽家の先生に指導された人です。歌詞の世界を思い描く、意味のある歌詞は繋げて歌う、という普遍的な教えもそこにはあるので、そうだなと思うことも一杯あります。


声楽に依拠した人の教えに時々違和感を感じる理由は、聞いている人が良いと思ってくれるのであればそれでいいじゃない・・。ということに尽きます。ミュージカルやオペラといった、ニッチな玄人に聞かせる訳じゃないからです。


歌を歌うことが好きな人が、持ち味を活かして歌う。それを聞いた人が喜んでくれる。僕が良いなと思うのはそういう世界だったりします。ですから、僕はミュージカルだったり、声楽家が指導するクワイアクラブみたいなところは、行かない方が良いな・・と思ったのです。まあ、合唱は声をそろえる必要があるので、没個性になるというのもある意味で当然だとは思いますけどね。

才能か色か

先天的に与えられたものが『才』、後天的に獲得したものが『能』であり、そのどちらも出したり引っ込めたりすることができるもの。顔や容姿といったものは『才能』ではなく、隠すことができない。実際に『色』として別格に扱われるわけです。(才色兼備という言葉の通り) 

 


色に恵まれた人というのは、人生において得をするのか…というと決してそういうわけでもない…らしい。憧れますけど…

 


確かに女性であれば、色に恵まれた人は有象無象の男が群がってきて、それを断ることもなかなか面倒だし、自分の本質に興味がなく、見かけに恋する人物を引っ掛けてしまった日にはそれこそ最悪で。何より恋した相手のために、自分の才能を磨いたり、生かすことができなかったら、それこそ勿体ない人生だといえるんでしょう。

 


色に恵まれた芸能人の人生を見ていると、確かにそれは言えたりします。大原麗子さんにしても、島田陽子さんにしてもそれはそれは美しく素敵な女性でしたが、寂しい晩年を過ごされてますしね。

 


なぜ人は才能よりも色を求めるのでしょう。例えば、松田聖子さんにおいては、天賦の歌声を取らず容姿をとっています。(勝手な邪推ですが)才能にあふれる人でも容姿に強いコンプレックスがあり、変えたい、変えたという人は少なくないと思うのです。

 


きっとそれは、色が恋愛というものに直結しているからなんだと思うのです。『少年老い易く学成り難し』より『命みじかし、恋せよ乙女』の方が人生においては重みがある。

 


一方で、色というのは老いによって褪せていきます。そうなると、才能を活かすということがその人のアイデンティティになってくる。豊かさとは色ではなく、才能によって周囲や社会に唯一無二の貢献をすることによってもたらされるのだとね。

価値観と漫画

幼少期、思春期に読む少年・少女漫画やアニメーションって人間形成に多大な影響を与えると思います。


何が尊いことなのか、美しいことかといった価値観に関わることがそこには扱われているわけで。滅びの美学や自己犠牲の愛が描かれていると、そういう価値観が基底部に有される気がするわけです。


巨人の星』や『あしたのジョー』においては、武士道にも通じる滅びの美学。『ベルサイユの薔薇』には強烈な自己犠牲の愛が描かれています。どちらも子供が見るアニメ作品ですが、ベルサイユの薔薇の世界とか、今見ても凄い。少なくとも僕はかなり影響を受けています。(男性目線でアンドレの心情とか考えると、めちゃくちゃ胸が痛くなります・・)


こういう作品は、ディズニーやハリウッド作品には決して登場しません。ハリウッド映画のそれは、基本はハッピーエンド。今の漫画やアニメにおいてもこうした作品って無いんじゃないでしょうかね。(ラ・ラ・ランドはある意味珍しい)


功利的、合理的に愛や結婚を考えてしまう事が多い20代の人って、ティーンエイジの時にこういう作品を読んでいないことが大きいんじゃあないか・・なんて思っちゃうのです。そもそも今は収入も上がらないから、現実的なことを考えないとやってられない、という時代背景もあるかもしれないですが。

遅れてきたインターン

ベンがシニアインターンとして入社したネットファッション誌は、40年務めた電話帳会社のビルディング。

 


アン・ハサウェイが主演する『マイ・インターン

 


シニアインターン役ベンを演じるロバート・デ・ニーロは、スーツにクラシックバッグを下げ、若者中心の会社では異質な存在。PCを使いこなせるわけでも、ファッションに造詣があるわけでもない。

 


僕も渋谷のオフィスに戻ってきたときには、こいつはマイ・インターンさながらだ…と思ったものだった。同じビル、同じフロア。エスタブリッシュメントのグループ会社だった前職と若者中心の新興ファームという違いすらも。

 


ベンは持ち前のチャーミングな人柄と、円熟な経験を持ってCEOアン・ハサウェイの掛け替えのないメンターとしての位置づけを担うようになっていく。映画とは違うけど、僕が立ち上げを担った組織・人事サービスラインは、若さだけで成り立つ世界じゃない。円熟さが要求されるカテゴリーだったりする。

 


マイ・インターンのように綺麗なストーリーじゃあないけど。事業が立ち上がり、ようやく僕は渋谷にカンバックしたんだと思える毎日だったりする。

 


15年ぶりの渋谷は、様相が全く変わりいつも要領を得ない。東横線地下ホームから、南口に抜けるのにいつも右往左往。地上に出れば分かるけど、地下街は迷宮のよう。しばらく僕を悩ませた大阪梅田地下街状態。

 


当時は東横線は高架だったし、銀座線も東急百貨店の中だった。スクランブルスクエアもないし、宮下公園も鄙びた公園だった。今じゃあ全く違う場所だよね。

不思議なトライアングル

中高クラスメートの永嶺さん、学習院ゼミの後輩だった田中君。二人を結ぶ接点は歌劇。同じ劇団が主催するミュージカル舞台の主役キャストをそれぞれ演じる繋がりで。先月は二人の公演にご招待され、舞台観覧をしてきたのです。

学生時代の三角関係は大体微妙に面倒なケースが大半ですが、これは大人の不思議な三角関係。せっかくだから飲みに行こうよということで、僕と永嶺さんのご近所月島のもんじゃ焼き屋さんで、一献の場を持ったのです。

月島から歩いて帰る道すがら、彼女がこう言っていたのです。茗渓ってあんまり男女の仲が良かったわけじゃないけど、30年以上の時間が経過したときに、月島であって話をして歩いているなんて不思議ね…と。こういうことは予想もできないことだよね…と。


仲が悪かった、とは思わないのだけど。多感な中高時代の男女の間には、見えない川が流れていたのは確かです。互いを必要以上に意識するがあまりに、自然に関わることができなかったのだ…そう思っています。その空気は同窓会に行ったとしても依然としてあります。個別に会えれば、思春期の時代をともに過ごす中で育まれた近似の価値観をもって対話できる貴重な存在なのにね。


僕は彼らほどにはやってないけど、歌は聴くことも歌うこともとても好き。それを考えると3つの点が三角になったのは必然だったのかもしれませんね。