Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

捨てられなかった手紙

家の書籍を整理したいとの依頼を母から請けた。まず手を付けたのは自分の部屋の本棚。26歳で結婚し家を出てから、残されたままの棚が幾段かある。箱詰めをしていると2通の手紙が本の間から出てきた。それは中3と高3の時に出したラブレターの返信だった。抽斗には入れていなかったので、当人も長らく取っておいたことを忘れていた。


もう30年以上も前の手紙...


どちらも色よい返事じゃないけど捨てられなかった。その文面には、相手は自分に精いっぱいのやさしさと誠意をもって返事を書いたことが伺えたから。


中高時代のラブレターなぞまったく身勝手なもの。互いの距離を縮めるやり取りも、相手の気持ちを察する配慮も全く備わっていない。一方的に思いのたけを募らせて文面にしただけの、相手から見たら扱いに困る代物。だからこちらが返信をいくら首を長くして待っていようが、無視をされても仕方がないのです。


そういう中で労力と時間を割き、丁寧な返事をくれた相手には今にしても頭が下がる思い。そう、好きな相手からもらえたラブレターに返信をすることよりも、意中にない相手に返すラブレターの方が『本当の愛』が必要。


書いた当人だって覚えないでしょうが、僕は良い相手に手紙を出したものだと改めて思ったものです。その後の人格形成においても少なからず影響を与えたといってもいいですから。


今は切手を貼って手紙で自分の気持ちを伝えることなんてこともあまりないですよね。私信の手段としては、家族に丸聞こえの電話はまずもって候補ではなかった時代。出したところで、反応もすぐにわかりやしない。もどかしいことこの上ない・・。一方で30年も前の手紙が出てきて記憶がフラッシュバックということもないでしょう(かみさんは、電子メールで書いた僕の手紙をプリンターで出してとっていますが・・)。


こうして30年前の手紙と幾星霜も経てあいまみえると、自分という人間は基本的にあの頃と何も変わっていやいないし、今の自分もこうした様々な人との出会いあってだなと思うのです。

隅田川のある生活

引っ越しをしたら、前の家のことを何かことあることに思いだしてしまうのではないか…郷愁の念にかられてしまうのではないか…

 


家を離れるときは、そう思っていました。特に離れるときはその想いはいよいよ強く、もう次に見るときは自分のものではない家を皆で惜しみつつ後にしたのでした。

 


そうして18年間住み慣れた目黒の家を離れ3ヶ月が経ちました。

 


『思っていたより寂しくないね…』と娘。

 


確かにそうなのです。郷愁の念のようなものは襲ってこないのです。東京駅にほど近く、銀座や日本橋という文化の先端と個人経営で味のある飲食店が多く立ち並ぶ街。刺激があふれています。

 


渋谷のオフィスまでもかつては15分だったところが、今では45分。でも、朝の銀座の街を自転車で走り抜けるだけで気分がいい。

 


タワマン暮らしも煩わしいと思っていたのですが、高層階ラウンジから眺める夕景、夜景はとても綺麗で、(僕の家は高層階ではないですけど)部屋はちょっと狭いけど、静かで暖かい。(一軒家は冬は寒いのです)。

 


中でも僕が一番気に入っているのは、隅田川の景色がある生活だったりします。夕景も綺麗ですし、ライトアップされた橋は芸術的です。ランニングは皇居をほとんど選ばず、隅田川テラスばかり。やっぱり、水の景色が日常に感じられる生活というのは、これまでの人生ではなったことですので、とにかく興味深く惹かれるのです。

 


来年の秋くらいまでの生活だと思うのですが、意外とここを離れた時の方が、郷愁を感じるかもしれませんね。

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ロイヤルストレートフラッシュ

今日は仕事納め。何かの終わりは、新しい何かの始まり・・

 

 

様々な物事にピリオドを打ち、新しいことを始めた1年。ポーカーでいえば、手許のカードを総て捨ててオールチェンジで引き直した感じ。

 

 

・ミドル・シニア領域の専門家というミッションに専念して働く環境に終止符を打ち、新興コンサルファームで組織・人事系の事業立上げを担ったこと

 


・子供が就職を行い、扶養義務が減ったこと

 

・住み慣れた目黒の自宅を売却し、鎌倉に移住をすることにしたこと。仮住まいで中央区に転居したこと

 

リクルート時代に立ち上げた自分の会社をクローズしたこと

 


 

公私ともに環境が一変。前もって計画をしていた訳でもないのに、一つを変えたら他のことも自然と変わっていった。

 


未知の環境に足を踏み出すことは、これまでへの未練や不安もあるし怖れも付きまといます。一方で新しいものを見られる期待感もあったりするわけです。

 


ポーカーでツーペアまでできていたら、大人しく1枚だけをチェンジしてフルハウスを作ればいい。でも、いくら待ってもそろう可能性はないかもしれない。ツーペアだって、フルハウスだって上がり役としては退屈。

 


目指すはロイヤルストレートフラッシュ。埋もれた可能性と出会いを信じて。蒔いた種から萌芽したいくつかの可能性。マイナスの状態から立ち上げた事業は、だいぶ機首が上を向きはじめました。

 


役ができなくてもそれはそれでいい。ゲームは挑戦のプロセスが楽しいのですから。

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ヘルスチェック

久しぶりの健康診断…

 


と、いっても1年前。今年は様々なことがあったので、時間がとても長く感じる。今回は血圧が高めだった。先週にいった献血の時の値がノーマルだと思うのでひとまず参考に留め置く。

 


ただ、新しい環境に身も心もすっかり馴染んでいるわけじゃないと思うので、深層に圧があって変動するのだろう。対処するにはマインドフルネスとかアロマテラピーとかがいい気が。(ランニングももちろんいいのだが…)

 


僕はジムに行かないし、体重計に乗る習慣が無い。でもベルトの穴は絶対に動かさないというポリシー。身長、体重、胸囲、ウエスト…高校3年の頃と変わりなし。ウエストは71cmだったから、ちょっとスリムになった。環境が変わって圧がかかる分、意識して体を動かしているからかもしれない。プレッシャーも悪いことだけじゃない。

 


健康診断の前だから酒を飲むのを止めようとか、節食しようとか。あるあるだけど。

 


体重減らしても、ウエストが絞れていないのであれば、それは筋力がなくなって締まりのない体になっているだけなので、格好は変わらないし下手すると改悪。年齢を追うごとに筋力は落ちていくので、体重だけを見ていたらだめだと思うんです。筋力は脂肪より重いですからね。

 


体は魂を運ぶ車のようなもの。いかに運動性能をキープしていくか、目に見えるボディの色艶もさることながら、トラブルを起こさず長距離を走りきれる、階段や信号点滅でいかに加速よくダッシュできるか…運動性能が悪い体では、好奇心を満たせませんしね。

歌のある典礼

コロナが蔓延し始めた昨年2月から中止になっていた日曜ミサの聖歌隊待降節第一主日の11/30からようやく活動が解禁となりました。解禁とはいっても完全解禁ではなく、歌唱は入祭、拝領、閉祭の箇所のみであり、4部合唱ではなくユニゾンであったりします。

 


とはいえ、ミサでは歌が一切禁止されていたことからすると、大きな進歩であったりします。パイプオルガンはあっても、歌のないミサはやはり色彩が抜けています。

 


コロナで聖歌隊活動が抑制されている間に僕は引っ越しを行い、碑文谷教会からは離れた新川に住むことになりました。本来であれば、築地教会が近くだったりするのですが、通い慣れた碑文谷の方が落ち着きます。それにロマネスク調の碑文谷教会は圧倒的に美しい。

 


クリスマスミサは、久しぶりに教会聖歌隊としての歌唱があります。少しずつですが嬉しいことですね。

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聖路加礼拝堂とマッカーサー

NHK新日本紀行「東京のアメリカ」

 

東京に点在する「アメリカ」を紹介。福生市にある横田基地は分かりやすい。代々木公園が「ワシントンハイツ」という在日米軍の兵舎・家族用の居住宿舎跡地だったということは初めて知る驚き。

 

 

もう一つ知った史実。

 

 

それは聖路加(ルカ)礼拝堂をダグラス・マッカーサーが毎日曜日に礼拝に来ていたということ。聖路加国際大学は、ドイツ式医療が中心だった明治期の日本において、米国式最新医療を日本に広めるために作られた場所。創立者であるルドルフ・トイスラー博士は米国聖公会。そして、ダグラス・マッカーサーも熱心な米国聖公会の信者であったりします。(プロテスタントが多い米国では珍しい)

 

 

東京大空襲聖路加国際病院のある明石、築地、湊、月島、佃は爆撃を逃れました。それは米国聖公会の信者であったマッカーサーが敢えて爆撃をさけるように指示したとも考えられます。占領後の聖路加国際病院を米軍転用にするという大義名分を置いた上で。

 

 

そう考えると占領後の聖路加礼拝堂の日曜ミサにマッカーサーが家族伴ってきていたのもある意味で必然なのだ・・と考えることが出来るのです。

 

 

ちなみに、マッカーサー大東亜戦争が生じた理由は、ABCD包囲網及び最後通牒である「ハル・ノート」をもとにした日本の自衛戦争であり侵略が目的でなかったと証言しています。その中で敗戦国となった日本を彼なりの哲学で再興させていこうとした。

 

 

マッカーサーは敗戦国の日本において慰めと希望を与える役割を担った存在として認知されたい・・と語っています。そこには、一見強面な風貌の裏に隠されたキリスト教精神の一端を垣間見ることが出来ます。

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実地ロードレース

久しぶりにマラソン大会にエントリーをした。来年3月に行われる三浦国際市民マラソン。前回大会を走ったのは2019年11月の手賀沼エコマラソンが最後なので2年半ぶりの大会ということになる。

 


ハーフマラソンだから、ルーティンで週末に走っている距離と同じ。フルマラソンでなければわざわざ大会に出なくてもいいかなと近年は思っていたわけですが。やっぱりサポーターも揃って他の人と一緒に走る大会がさすがに恋しい。

 


リアルの大会はこの冬もさすがに少なく、三浦国際は数少ない実地ロードレース。この大会はアップダウンが激しいのですが、三浦大根をくれたり終わった後の豚汁がおいしかった記憶があります。

 


第六波の恐れもあるわけですが、無事に開催されるといいな。