Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

直感を磨くことの優位性

人は何かの刺激を受けたときに、直感と論理的思考が同時並行で働く。ただし、直感の方が論理的思考より速いために、正しい意思決定はできないとされる。その例が衝動買いを後から後悔するような事象。


よって、直感より論理的な意思決定の方が優れているし、その考え方を磨くべし・・という意見が世の主流であったりする。だが経営者の多くは「直感」を大事にする人が多いのもまた事実。最近の研究では、不確実性の高い物事の意思決定においては、論理的に物事を考えるよりも、直感で意思決定を下す方がプラスであるというものも出ている。


その理由は、予測を行うにあたっての「情報変数」が論理的に行おうとすると多く複雑になるとともに、過去の法則に基づく判断は使えないものである場合も多い。結果としてバイアスは減ってもエラーになる率は高まる。


直感においては、バイアスは高いかもしれないが、扱う変数はシンプルで複雑性は減少する。ただし、そこには条件があり直感においては、様々な経験に裏打ちされたモノであること、様は玄人の勘であることが大事であるそうだ。


そうなると、論理的な思考力を磨くこともさることながら、優れた直感を磨くために様々な経験を積んでいくことが大事ということになる。特に失敗や挫折の経験は優れた直感を養う上では大事なものになる。過去のケースを学んできたMBAホルダーが会社を滅ぼすというミンツバーグの論もは理に適っている。


論理はレゴブロックでありその積み上げにおいては、欠損する情報が多く出る。しかも、堅牢に積み重ねられた帰納と演繹のアーキテクチャにも賞味期限がある。官僚主義の問題は、賞味期限切れのアーキテクチャでものごとを捉えるからだ。


サン・テグジュペリは、大昔にそのことを星の王子様でやさしく説いている。


心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ・・様々な経験を積み、心のレンズを曇らせないでいること。企業経営においても人生においても本当に大事なことは目に見えず、論理にも組み込まれないのだから。

リフレクション・ナイト

『俺より強いやつに会いに行く』

 

カプコンのミリオンヒット格闘ゲームストリートファイターⅡ」のキャッチコピーではないけど、仕事をする上での醍醐味は自分より優秀な人と働くことにあるわけで。コンサルティングファームで働く魅力もそこに尽きるわけです。陸上だって速い人と走る方が、絶対に走力は上がるのです。


「誰とやるか」>」「何をやるか」>「幾ら貰うか」が僕の優先順位。


今の環境を選んだのも、上記のポイントが前職では自分の意に沿わず変更されたから。仕事も組織も自分で選ぶがモットーですしね。異動辞令なんて黙って受け入れるような従順な人じゃ無いのよね・・

 

年齢に関わりなく、自分にはないものを持っている人、インスパイアしてくれる人との仕事や対話というのは何にも代えがたい魅力であったりします。Kさんというのは僕にとってのそういう人。面接の時に、こういう人はいない・・という殆ど確信に近いモノを感じ、向こうも僕らの環境に魅力を感じて転職してくれました。組んだプロジェクトはいつも僕にとって多くの学びと刺激にあふれるものでありました。


久しぶりに対話をして。ああ、この感覚だったな・・と。彼女の言葉が自分の中で乱反射するのです。


思った通り、しっかりプロモーションして中軸の仕事をしている。これからももっともっと圧倒的に成長していくに違いありません。今や会社の枠なんて関係の無い時代。また違う形で仕事が出来るときも来るかもしれませんね。

Brand New Project

夏の3ヶ月は山ほど提案書を書いた。異なるジャンルのテーマ群。特に立て続けに企画を書いた8月は、それ以外の提案やプロジェクトデリバリーが輻輳したこともあり、提案が一段落した後も暫く何も手につかない気分だった。もう一種のバーンアウト


柄でもない高級時計でも買おうかと考えたり。本も読む気がせず、万年筆を手に取り、ノートに考えをまとめる事も急に出来なくなった・・企画書を書いているときは、せっせとペンをもってアイデアを書き留め、絵にしていたのに。


提案というのは、相手との相性もあるから全力で臨んだからといったって取れるわけじゃない。とはいえ、フルスイングでボールが掠らなかったときに体にダメージが残るように。空振りというのは一番応える。幾つか書いた提案でも3本のオープンコンペはどれも最終選考に残った。それ以外の提案も受け止めが良かった。後は相性とタイミング。

 

一つがインフルエンサーマーケティングで急成長しているコスメディックスカンパニーの人材マネジメント改革のオープンコンペだった。


普通に制度の提案をするのでは面白くない。リクルート、メルカリ、サイバーエージェントHRMに強みを持つ複数の先進企業をモチーフに企画コンセプトを提案した。


人事制度とは、社員が毎日住む建造物を作ることに同じ。ゆがんだ建物に住んでいたら、人の心も歪んでいく。ESの低さは建物のゆがみが原因。出来合いのプレハブ住宅に住むのなら、安く早くできる。


等級・評価・報酬・・普遍的な3つの構造体をいかに整合させ、自分たちのDNAと思想を込められるのか。意味も分からず9等級とか止めましょう。数字には意味がある。理念を通したいのに、なぜ理念と整合しない評価制度にするのでしょう・・成長して欲しいなら等級定義と整合もさせましょう。そもそも、等級制度とは偉さの番付基準です。皆さんの会社の偉さとは何ですか?


そんなことをプレゼンの端々で話しつつ。プレゼン後もメールでラリーを続けていった。相手は、経営企画と人事の女性社員。会話の波長はすごく合っている気がした。4度目のメールの後に一文が添えらていた。

---
そして、本題ですが、今回の評価制度見直しPJは、御社に発注いたします!
 
御社とのお打ち合わせでは毎回、多くの気付きや学びがありました。
そのお打ち合わせの中での会話のスムーズさ、会話の端々ででてくる言葉の親和性などを感じまして、難しいPJの遂行をともにするパートナーとして、全力で頼っていきたい!と判断いたしました。
 
これから長い道のりとなりますが、何卒よろしくお願いします。
---


ビジネスなのにこういうやわらかい表現を遣ってくると感じるモノがある。さすがマーケティングで成長している会社の人事。大阪の人だからかな・・


そこの製品は、僕の妻や娘も使っているブランドなので、その話をしたらなんかえらい評判でした。部品メーカーとか大手工作機械とかは何の反応も無いのですけどね。新しい仲間と新しいクライアント。どんな仕組みにしていこうかしら・・

リスクとリターン

Rで事業を立ち上げたときは1年半かかりました。垂直の壁を登るように取っ掛かりがまるで見つからず、息が詰まる毎日でした。それでもリーマンの時の案件獲得の至難さを味わっているので、とにかく歩みを止めずに脇目も振らずに前に進んだわけです。

 


結果が出なかったら…と強い圧もかけられたけど、最後はやれるものならお前がやってみろ…と開き直って臨んでいった。その時の経験があるので、新しく事業を立ち上げていくということにおいて、自分が持つベストを尽くしていくことしか打開の道はないのだという半ば信念に近いものもあったりする訳です。

 


それに引き換えれば、前職においてはある意味で楽だったなと思うわけです。その代わり報酬は低位安定だった。ただし世の中の仕事ってそんなもの。リスクとリターンは裏表なのですよね。

 

 

楽に営業ができるということは、それを支える営業専任部隊やエッジの立ったリサーチチームのアウトプットがあって初めてなし得る事だからです。これは、コストに当然乗ってくる。コンサルティング部門が仮に成果を上げたとしても、それを支えている手厚い体制があってこそである以上、ダイレクトに報酬には還元されない、されようもないわけです。

 

 

 

やった分だけの成果を得られる環境にあやかりたいのであれば、相応のリスクを背負い込むことが必要。もしくはビジネスモデルが出来上がっているところに行くしかない。後者においては、ビジネスモデルが出来上がっている以上は幾らでも代わりが要るのでディフェンディングは至難です。せいぜい定年でフラッシュです。これも結局はリスクです。

 

 

 

世の中はノーペイン・ノーゲインの原則に基づいて動いているのだ…と思うわけです。

良心と役割と

人生で変化を遂げるためには、2つのことを実践すること。一つは良心に従うこと。もう一つは役割を変えること(7つの習慣)


新しいことをすべきだと思っているのに、自分にその資格はない、今はその時期ではない・・といって今の状況に踏みとどまろうとしている人がいます。結婚だったり、子供を作ることだったり、転職・独立だったり・・


7つの習慣でいっていることは、自分が変わったから新たなステージに行くというのではなく、新たなステージにいくことによって自分を変えていくということが本質なのだということ。伴侶であれ、親であれ、管理職であれ。「機会を自ら創り出し、機会によって自らを変えよ」というリクルートの社訓とも一緒ですね。

 

この反対は、自分の外にある価値やアイデンティティに身を委ね、同じ役割に甘んじていること。愛着を持てない仕事をしているのに、世間体が良い企業だからといってしがみついていることは、自分らしく生きていくための変化を敢えて拒絶していることと同じなのでしょうね。

基本はラブレター

ダイレクトリクルーティング。欲しい人材をサーチして、直接メールを打って採用に繋げる手法。ビズリーチが代表的だ。

 


欲しい人材には直接アプローチできる反面、そういう人材には多くのアプローチが来る。平板なメールではハナから無視されるのがオチ。メールを打つ担当者を悩ませるのが、返信率が上がらないこと。

 


当たり前だがアクセンチュアくらいの横綱企業からのオファーメールだったら返信でもしてみようかとも思う。だが、知らない企業からのメールだったらどうだろう。まず相手にされない。

 

 

 

これはラブレターと同じ。憧れの人からのレターには心を動かされるけど、顔も見たことがない、見てもぱっとしない人においては、振り向かせるに技術がいる。

 

 

 

自分がどれだけ相手のことを観察、理解、想像し、自分との出会いの必然性を語ることができるのか。唯一無二の理解者として認識をしてもらえれば、イケメンじゃなくても付き合ってもらえるかもしれない。

 


平安時代であれば、和歌に託す思いの深さ、美しさの技量が大きな魅力の要素だった。人を動かすにおいて、言葉の持つ力は変わりがないはず。

 


一方でこの事を理解せず、自分のことだけを一方的、画一的な文章で送る浅はかさ。これは、ラブレターじゃなくて三文チラシ。ラブレターを書いたことも貰ったこともないのだろうなあ…

 

 

 

学生時代、独身時代は手紙をよく書いた。好きな人には毎日のように手紙を書いた。電話で相手に全ての心情を伝えるには僕には言葉も勇気も足りなかった。

 

 

 

白紙の便箋に筆を走らせると、話す言葉も然る事ながら、相手に的確に伝える言葉の乏しさにいつももどかさしさを感じた。そして最初は自分のことばかり書いていた。うちに読む相手のことを想像しながら書くようになった。気持ちが通じて相手からも気持ちを伝えてもらえるようになった…きっとこの時と同じ。

 


チラシは止めてラブレターを書こうよ。ラブレターの要件ってなんだろうね…

 


そんな話をオンラインで話していたら、息子からはラブレターのことを仕事で話すんだね…と半ば感心したように言われ。妻からは、昔は山ほど長文の手紙をくれたのに、最近はスタンプばっかり…と。仕事だけでラブレター書いてちゃダメね。

緊張感あっての心理的安全性

心理的安全性はとても大事だと思うのですが、Googleにおける心理的安全性と、特に日本企業における心理的安全性は、唯一無二の妙薬のような扱いをすることが間違えているように思います。

 


そもそも、採用を厳選し入社した社員においてはパフォーマンスについて多面観察やエンゲージメントサーベイによってタイムリーかつしっかりと見られているGoogleにおいては、個々がプロとしての緊張感に常にさらされている訳です。こうした環境においては心理的安全性はパフォーマンス発揮において大事な要素だった…と解釈すべき。

 


マネジメントがまともにできておらず、中心化、寛大化評価が常態的になっている日本企業の多くにおいて、心理的安全性が大事とか言っているのって極めておかしいと思います。大事じゃないとはいいませんが、その前にやることあるはず。これ以上のぬるま湯にしてどうするのかしら…

 


OKRがMBOの派生形だということも分からず、MBOがうまくできていない会社がOKRを導入しようとするとか。へんてこりんな事ばっかり。

 


米国発の人事システムを礼賛する前に、向こうの労働市場の実態だとか、人材マネジメントシステムの全体像を理解した上で枝葉の理論を持ち上げるなり、推奨するなりしてほしいもの。そんなことだから、日本の労働生産性は米国比の60%という低迷を長く続けているのだろうと思います。