Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

諦め前提の再就職支援

事業の立ち上げに関わっていた3年目43歳の時。僕は土俵際に追い込まれていた。事業の軸は定まらず、売り上げは自身のコンサルティングで勝ち取った2500万のみ。それとて、かなり破格の報酬を得た結果であり、それがなければ実績はゼロといっても良かった。

 


提供する価値、サービスを決められない中で売上など上げられるはずもなく。その原因は上が方針を定められなかったから。でも、事業が立ち上がらなかったら契約は終了であり、思うように事業が立ちゆかない矛先は、立場の弱い僕に向けられていた。

 


ある日、僕はリーダーにこう宣告された。このままなら契約は今年で終わり…と。

 


信じてついてきたリーダーに振り回された結果の宣告。目の前が真っ暗になった。すべてを犠牲にした慣れに果てにこんなことを言われるとは…

 


その時、同じ組織に半年前から異動で加わったS君がいた。再就職支援のカウンセラー上がりの彼は僕と同じ歳だった。彼は窮地に追い込まれた僕のことを慮って声をかけてきた。

 


『つらいやろ、他もし行くんやったら力なるで。でもな、今の収入を維持するのは正直厳しいと思うわ…』

 


悪気はなく気を遣ってくれたのかもしれないが、正直カチンときた。コンサルティングで一線張ってきた意味も価値も分からないのに、下がる前提で値踏みされるなんて…

 


窮地は自分で打開するし、他に就職するにせよ端から年収下げが当然という扱いしかできない人には相談の価値なし…と。

 


果たしてその後に僕は立て続けに大型案件を獲得。僕に最後通牒を告知したリーダーは、管理能力の無さを問われ、僕とは逆に組織を去ることになった。僕にアドバイスをくれたS君も事業の立ち上げという局面では全く力を出せずほどなく異動になった。

 


中高年が会社から退職を勧奨されたとき。活用できるサービスとして提供される再就職支援。だが、社員の一人一人が培ってきた経験や能力を活かし、かつ待遇も維持できるような就職先を提供される確率は非常に低い。それは、日本の労働市場が未成熟であるためだ。

 


だから、中高年の再就職においては初期段階で期待値を下げ、諦めることを目的とした洗礼を最初に受けさせる。実際に大企業で年功的に処遇をあげた人間なら致し方ないかもしれない。だが、猫も杓子も諦めて新しい椅子に着かせるような対応は間違えている。

 


人にとって仕事とは尊厳でもある。

 


尊厳を守るためには、新しい仕組みを作る必要がある。何もない企業の外に放り出すのはあまりに切ない。ハローワークでもない。アウトプレースメントでもない。新たな仕組みをね。

名刺のメッセージ

社会人として初めて手にした名刺。

 


プロフェッショナルファームは、個人がまずあってこその存在。だから一番上には皆さんの名前が入っています。会社名は一番下です。普通の会社はこの逆です。会社名が一番上、個人の名前は一番下…

 


人事の説明に『ほう…』と思って名刺を眺めたものだ。

 


今でこそ違うが、当時のPriceWaterhouseの名刺は横長の左肩には個人名が印字されていた。所属組織やタイトルは個人名の下。今となっては、PwCもデロイトも会社名が上。名刺においては組織にぶら下がる個人の構図で普通の会社だったりする。ロゴをブランドとして過剰に目立たせるようにしていてある意味で鼻につく。

 


様々な名刺を見る機会があるが、個人名を最上位に持ってきている会社というのは、大手企業ほど存在しない。会社という大きな傘に個人が宿る、メンバーシップ雇用の組織と個人の関係は、名刺一枚のデザインにも如実に現れるもの。

 

 

 

プロフェッショナルスタイルと同じだ…と思ったのは、リクルートの名刺。縦長の最上位に個人名を持ってきている。『個』があってこそのリクルートだという意志を名刺から強く感じたものだ。同じ人材会社でも他とは全く違う。他はオーソドックスなスタイルだし。

 


個の自律なんていうなら、名刺のスタイルから再考し、社員にその意味を問うてみてもいいと思うよね。

「養老先生・ときどきまる」をみて 

NHK BSプレミアム「養老先生・ときどきまる」をみていて感じたこと。


何かを欲して手に入れた時の喜びには脳内化学物質のドーパミンが関係している。これは単なる快楽物質ではなく、予期されない報酬の際にのみ活動する。想定内の報酬においては作用しない。恋愛の初期段階においては、ドーパミンが作用しているし、SNSなどに人がハマるのも新たな情報に対してドーパミンが作用する。気をつけないと依存状態になってしまう可能性がある。ドーパミンは平穏ではなく嵐だから。


それ以外にも脳内化学物質はあり、セロトニンオキシトシンがある。これらは、Here&Now(今、ここ)の状態に作用する。人が本来の幸福感を感じていくためには、ドーパミンの世界からHere&Nowの世界に移行していくことが大事。


仕事においても同じだと思うのです。新たな探索を繰り返して自分の可能性を拡げていく、好奇心を働かせていくためには「ドーパミン」がカギになる。ただし、そこに昇進・昇格や外的な承認という報酬でドーパミンを作用させすぎると、その限界にぶつかることになる。下手をするとそこで引きこもりや鬱になってしまうかもしれない。できれば、内なる冒険にこそ「ドーパミン」のエネルギーを活用したい。


合わせて大事なのは「Here&Now」の世界にどれだけありがたみを感じることが出来るか。ここがないと心が安定していかない。


座禅、茶道、マインドフルネス・・
これらは、「Here&Now」の世界に軸を持ち、自分の心を見つめ受け容れ、肯定していくための所作。


人は何事にも意味を求めたがるものだけど、実は意味なんてないことが多い。神様から与えられた経済的なところに還元される「Gift」なんてものも誰にも備わっているものじゃない。だから、この世界を突き詰めていくと苦しい。自尊感情がどんどん低くなる。


そうじゃなくて生かされている、今ここにいる自分を素直に感じ取り、喜びを見出していく。そこには経済的観念も相対性の世界もまったくない。動物・・猫の目線・・神は一人一人を特別なものとして創り給うた・・の本質はタラント(Gift)を土から掘り出して増やすことだけではなく、こっちなんじゃないかな。

DXと労働生産性

日本の労働生産性は米国比の60%という数値であり、今や韓国よりも低い。G7中で最下位という体たらく。結局、日本においてはデジタルトランスフォーメーションではなく、既存のビジネスや業務を前提としたIT化しかおこなわれていなかったことの証。

 


どうしてこうなるのか。それは、人材の流動性・専門性が極めて低く、固定的な人員と固有業務を前提とした改善しか日本企業はできていないということ。

 


みずほ銀行のシステムトラブルも、ITシステムが合併行同士の覇権争いに担ぎ出されたことが未だに尾を引いているといってもいい。だいたい、銀行の機能など端から見て変わらないのだから、無理に統合する必要もないし、片寄せすることもなく新たなプラットフォームを作ればよかっただけのこと。それぞれを尊重して複雑に組み合わせたから、サグラダファミリアみたいな迷宮の長物になったのだろう。挙げ句にシステム休止やトラブル続き。

 


結局、日本におけるIT活用というのは90年代のBPRの時と同じで、非連続的かつ抜本的にビジネスを変えるのではなく枝葉や表層的な効率化にしか寄与できていない。これがいよいよハッキリしてきたように思う。

 


原因はDX人材がいないからというだけではなく、変わることが難しい社員の雇用と賃金をそのままにして変えられることだけトライしようとするから。

 


変えるというのは、対面販売を行っていた支店と社員をすべてスクラップにした松井証券のようなことをどこでも本当はやらなくちゃいけない。でも、サラリーマン社長は仲間に弓を引くのが嫌だから英断を下さない。

 


不可避の時は、日産や三菱ケミカルのように外国人社長を外から連れてくる。異人のターミネーターがくれば角が立たず改革が行える…メンバーシップ雇用の最大のアキレス腱は、同質性のトップは自己否定ができないし経営のプロになれないということに尽きる。

 


戦後の日本が急成長したのは公職追放で、古いパラダイムに染まったベテラン役員が追い出されていなくなったことが功を奏したという。

 


そうなると、DXを推し進めて低レベルの労働生産性を変えていくには、長く同じ会社に勤め上げ、村の論理で祭り上げられたトップが牛耳る会社では駄目ということ。それは身の回りを見ていてもわかる。それを考えると最近の若手で優秀な人がスタートアップに行くのも納得できるし、その方が良いと思うのですよね。

両利きのキャリア

両利きの経営とは、一定分野の知を継続して深めるExploitation(知の深化)と新たな知の範囲を拡げていく「Exploration(知の探索)」をバランスを持って行うということ。


前者を推し進めていく方が効率がいいため、知の探索は怠りがちになる。このことで知の範囲が狭まり、結果としてイノベーションが停滞し、衰退していく結果に陥る。日本企業の失われた30年は「知の探索」を怠った結果といってもいい。


同じことは個人のキャリアにも言える。一つの専門分野を極めたところで、それで一生食っていける人は一部に限られている。会社の命のままに異動ローテーションという探索を行っているだけでもだめ。探索と深化の両方を意識して追いかけていくことが大事なのだ。そもそも人の可能性はいくつもあるものだし。


僕も、ミドル・シニアのキャリアというテーマについては10年以上も行ってきたのでそれなりに深化は出来たと考えている。今後もこれだけを深化していくか・・というとそれも違うのだろうなと。元々、組織・人事というドメインもミドル・シニアのキャリアというテーマも「探索」の中から偶然に拓けてきたもの。そこで見つけたものだけを後生大事にずっとやっていくのか・・というとそれも違う。そこに期待している人も頼りにしてくれる人もいることは分かっているけど。


僕の特性として、一つのことをとことん突き詰めていく深化より、様々なものを見つけて組み合わせていく探索の方が性に合っている。そうなると新たな探索の働き方を自分で考えていかなくちゃいけない。


ほぼ日のCFOを50歳を前に退任した篠田真紀子さんがこんなことを言っていました。


『いろんな可能性を広げたいのであまり決めていないのですが、「やったことある」とか「できそうだな」と思う領域は多分選ばない気がします。』


『ただ一つ、指針とも言えるのが、30代の頃、投資家の梅田望夫さんの著書で出合った言葉、「迷ったら見晴らしがいい場所を選びなさい」。見晴らしがいい場所——つまり、既に誰かが作り上げた完成物があまりないような、これからどうなるか分からないような場所。そのほうが未来を自分の手でつくれるのだから面白いぞと』


この考え方、意見にはとても素直に共感できます。


そして、彼女はこうも言います。


『仕事と人生を、干支のサイクルと同じ、12年ごとの周期で分けて考えるようにしているんです。12歳まで、13~24歳、25~36歳、37~48歳、49~60歳……というふうに』


『基礎の型が身に付いてやっと自分なりのスタイルを見つけていくのが、37歳から48歳にかけての4周目。49歳から60歳までの12年間は、まさに自分ならではの生き方を表現していく面白い時期』


そうなんですよね。だから、組織の都合とかに惑わされず、見晴らしの良い場所を目指して探索をしてみる。自分の人生なのですからね。

起業の天才

リクルートに関する書籍には昔から多く目を通している。創業者自伝、OBの著述、仕事術、ノウハウ系etc..新刊の「起業の天才」も早速読んでみた。


読み始めのきっかけは、30代の時に在籍していたNTT系シンクタンク労働市場分野における新規事業開発コンサルティングがきっかけだった。当時、労働分野で新しいサービスを立ち上げるなら、リクルートをパートナーにするのが近道ではないか・・とうっすらと思っていた。ワークスの論文を読むにつけ、その想いは確信に近いものになっていた。都合のよいことにクライアント企業は、リクルートの株主でもある。


事業構想を話したところ、リクルートもパートナーを探していた、ということで僕はスポンサー企業とリクルートを繋ぐコーディネーターとして彼らの活動に深く関与することになった。G8の月曜日の定例朝会には毎週参加したし、ブレストにも呼ばれた。飲みの会にももちろんつきあった。彼らのことを理解するために、片っ端から書籍には目を通した。江副さんのエピソードも多く聞かせてもらった。


元々の気質もあったのだろうし、彼らの文化、DNAというものを積極的に理解しようという姿勢もあったのだと思う。門外漢の僕はオールドリクルートの方に可愛がってもらった。僕自身も彼らと新しい事業を作ることに大きな意義を感じていた。もしかすると、事業の意義ということより、彼らと一緒に働くことが極めて刺激的で愉しかったからなのだと思う。


新規事業という「祭り」はいつかは終わる。4年の月日が経ち、合弁事業は発展的に解消。僕は戦略から組織人事コンサルティングに大きくキャリアを変えた。


「おまえは何をしたいんだ」「それの何がうれしいんだ?」
「おまえは人や組織を相手に仕事をするのがあっているんだ。なぜならな・・」


社外の人間にもかかわらず、何度も受けた問いかけ。


人の意思を引き出し、人を変える力は僕においても働いた。その後、幾星霜を経て僕はリクルートで新規事業の立ち上げメンバーとして参加することになった。


最新刊『起業の天才』にも、知っている方々のエピソードが随所に登場する。綿密な取材に基づき、創業者とリクルートという会社を立体的に浮かび上がらせた著書。2日で一気に読むことが出来た。


読んでいくと、僕がNTT系の会社に在籍したことも含めてNTTとリクルートのリレーションがかなり以前からあったことに気がつかされる。そして、改めて感じるのは「時代を先取りした着想」と「個を生かす経営」。僕の今いる会社は同じ人材サービス会社ではあるけど、DNAが全く違う。模倣をしたくても出来ない。たぶん、その違いについて分からない人は永遠に分からないだろう。人事制度からしてまるで別物だしね。


変化、成長を誰よりもしたいと考えている人材を引き寄せ、化学反応を起こすことで組織を成長させていく風土。ソーシャルキャピタルを形成するHRMを中心としている企業戦略。同じような会社は日本企業にはなくて、Googleなんだよね。


惜しむらくは、嵌められたともいえるリクルート事件と緊縮財政の中で経営の舵を握った河野氏の時代。これがなければ、今よりもさらに大きな存在になっていたのではないかと思う。そして江副さんが「虚業」との揶揄から「本当の虚業」である土地の錬金術という泥沼にはまってしまったこと。自身の行っている事業の評価を周囲の意見に惑わされずに行うことは難しい。コンプレックスというものは原動力にもなるし、せっかく見つけた「道」を踏み外させる魔力があるのだよね・・

参謀の思考法

一枚のメモ用紙に簡にして要を得た記述(結論、3つの理由)をし、後ろに論拠を示した詳細データを貼付する。そうした独特のメモの様式は、壱岐が曾て参謀本部にあって、戦線を前進させるか、撤退させるか、二者択一の軍の作戦を立案するとき、たたき込まれた思考方式を導入したもので、どんな複雑な要素が絡み合っている事態でも、問題点を5点以内に要約し、その裏付けをとれば、結論は出るというのが壱岐の持論で、口頭での報告もすべて時間を圧縮し、先に結論から述べるという方式を徹底させていた。(山崎豊子 不毛地帯


小説の主人公、壱岐正のモデルとなっている瀬島龍三大東亜戦争中に大本営参謀で作戦部員の要職を若くして勤めた人物。戦後はシベリア抑留11年後に伊藤忠商事に入社し、繊維商社だった伊藤忠を財閥系商社に伍するまでに成長させた立役者。中曽根政権時のブレーンにもなっている。


瀬島氏に関する描写は、「企業の天才」にも登場する。その時は、通信自由化の中で第二電電の幹事会社を京セラ(稲盛)、ソニー(盛田)のどちらにすべきなのか裁定をウシオ電機会長の牛尾氏から依頼されたときのこと。この時にも結論、理由を3つ述べて京セラにする大きな役割を演じている。今のAuの誕生も瀬島氏の裁定あってこそ。


それにしても驚くべきは、瀬島氏の大本営参謀として用いていた思考法。


戦略コンサルティングで叩き込まれた思考法というのも、瀬島氏が士官学校で叩き込まれ大本営参謀で実践していたものと全く同じ。結局、軍隊であろうが企業であろうが幹部の行うことは意思決定であり、良質の意思決定をスピーディーに行うためにどうすべきかということについて、80年前も現代も大きく変わっていないのだということを実感させてくれる。


米国におけるアンダーセンコンサルティングアクセンチュア)の躍進の陰においては、ウエストポイント(士官学校)出自の会計士、コンサルタントの存在があったことは聞いたことがある。一方で軍隊のない日本においてはこうしたことを聞いたことは全くなかった。だが、瀬島氏の活躍を見るにつけ、戦略的思考法というものは日本軍においても行われていたものであるし、米国の専売特許ではないのだと思う訳なのである。


戦後の日本においては軍隊を持つことは認められず自衛隊となり、士官が民間企業に転じ成功した事例というのもあまり聞いたことがない。もし、そうした例が多ければ現場一流経営二流という状況も早々に変わっていたのかもしれない。