Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

BIG5にみる家族関係

人の性格は5つの要素の組み合わせからなるとするBIG5理論。性格検査、リーダーシップ開発、採用・配置など様々な目的に使われています。

 

その5つの要素とは

 

①開放性: 知的、美的、文化的に新しい経験に開放的な傾向(好奇心、審美眼)

②外向性:興味関心が外界に向けられる傾向(社交力)

③協調性:他者と協調的な行動をとる傾向

④誠実性:責任感があり勤勉で物事をやり抜く傾向

⑤精神的安定性:感情面、情緒面で安定した傾向(自己肯定感)

 

に定義されるわけです。

 

僕においては、①②⑤が極めて高く、③はまあ平均。④が全く低い。クリエイティブなこと新規事業とかをするのに向いているタイプです。

 

人事の人間であれば馴染みのあるBIG5理論ですが。

 

たまたま、娘が買ってきた心理学の本に簡易検査が載っており、家族全員のBIG5を測ってみました。すると、僕と娘はほぼ波形が一緒。妻や長男は③④が極めて高く、次男はその中間という結果でした。

 

僕がなぜ娘とは気が合うのか。それでもってなぜ僕は妻にいつもダラシナイとか、人に気を遣えとか無茶苦茶怒られるのか、この性格特性の結果でもっていよいよハッキリしたなあと。

 

これはね、個性で持ち味なんだから、お互いの特徴を認め合おうよね。互いに補完関係なんだからね…ってな話をしていました。傾向が逆ということは素晴らしいことなんだよ・・と。

 

『まったくいっつも自分にポジティブで都合よく解釈するんだから…』

 

これは、③④が高くて⑤が低い妻の性格ならではの反応なわけです。でも、こういうすれ違う現象はどこでも必ず起こるものなのです。BIG5の波形は人それぞれ違う。経験を積んだり、置かれた状況によっても変わってくる。いい悪いではなくて持ち味なのですが、どうしても人は自分の特性で人の価値を推し量ってしまうところがある。

 

例えば 誠実性ってとても大事な性質だけど、いかに楽をしてやるか、既存の枠組みを無視して新たな道を探すのかという遊び心の開放性が無かったら、パラダイムシフトや進歩はないわけです。そして、風呂敷を拡げる開放性の人とそれを着実に畳んで具現化する誠実性の人が一緒にいてこそ、イノベーションは生まれるわけです。が、下手をすると反目して相手を許せなくなって排除するだけになる。

 

家庭でもそうですが、それぞれの持ち味を理解し、互いを赦し補完しあう事こそが大事なことなんですよね。

 

リモートワークへの投資

毎日を家で過ごし、お昼も家で食べていることもあるので、ある一面では出費がかなり抑えられている気がします。普通に外でお昼を食べたら1000円弱はかかりますから。さらには、ちょっと息抜きにコーヒーを飲もうとか甘いものを食べようとか。自販機で飲み物を買おうとか。


家にいれば、コーヒー飲もうと思えば自分で淹れればいいわけです。いつもならちょっと躊躇ってしまう高い豆も、外飲みのコストを考えたら大したことなんてありません。台所スペースに余裕があれば、エスプレッソメーカーなんて置けたら最高なんですが・・De'Longhiのエスプレッソメーカーとか・・


一方で家でのリモートワークを生産的にするために必要な投資。

①高速ネット回線
②良質のヘッドホン&マイク
③机

①②は元々整備してあったので大丈夫でした。特に①はかなり重要。家ではNURO光を入れていますが、子供たちも大学はネット授業、カミさんもリモートワーク、僕もリモートとなると回線容量が太くないとパフォーマンスに大きな影響が出ます。


ヘッドホンは、SHUREのマイク付きインナーイヤーフォンを使っていますが、これもプロのサウンドモニター用ですので快適です。安いヘッドセットだと耳も疲れるし、音もまともに拾えなかったりする。


先日はコストコで簡易な机を買い、PCスタンドを設置したことで会社にいたときよりも作業は格段にやりやすくなりました。(机のスペースは会社より広い)


PCスタンドにノートを置いて作業をすると、やっぱりキーボードは別に離して使いたくなります。そこで、FILCOのメカニカルキーボードを久しぶりに使うことにしたのですが、こいつの難点はタッチ感が最高なものの音が最高にうるさいこと。使い始めた鼻から家族から猛烈な非難を浴びたので、キーボードを新調することにしました。やっぱね、ペンと同じくキーボードは質のいいものを使いたいですし。


タッチ感がしっかりしていて、音が静かなもの。こればかりは実物をみて買わないと・・自転車で久しぶりに秋葉原に。ツクモEXの2階キーボード売り場で超高級キーボードの東プレRealforceが偉く気に入ってしまい、さんざん迷って大人買いしようかと思ったら、品切れで入荷の見込み無し・・3万近くするからね。ある意味、諦めついてホッとしたような・・


ここは浮気せず、当初一位で買おうと思っていたFILCOのMajestouch2の茶軸にすることにしました。東プレの半額とはいえ、十分に高級なキーボード。タッチ感も良く音もとても静かです。やっぱり、値は張ったとしてもお気に入りのモノに囲まれていた方が、気持ちも上がりますからね。

美しいものは、強さを持っている -数と形 その2

『組織は戦略に従う』アルフレッド・チャンドラーの遺した名言。大学の経営学では真っ先に教わる内容。そして、この言葉は企業戦略に留まらず、普遍的である。

組織というから少し分かりづらい。これを、配置陣形と捉えれば一目瞭然である。サッカーでも監督の戦略が変われば、陣形システムは変わる。そして、局面に応じて美しい陣形を維持できるチームは強い。僕の好きなスタイルは、イタリアだ。

配置陣形は、動く城ともいえるもの。美しい城は難攻不落で強いのである。強さを突き詰めていくと、形状の美に行き着くのが面白い。

戦国の名将は築城の名手であったことは、紛いのないことであるし、軍、スポーツの名将は、配置陣形をデザインする名手ともいえる。

さて、経営者において築城の名手とは誰だろうか?そもそも、築城の必要性すら理解していない人が多いようにも思う。そして、美しさを踏まえた設計の視点においても。

米国であれば、退役軍人が名経営者になっているケースは多い。日本でも戦後の発展を支えた人材は、元軍人であるケースは多い。伊藤忠の礎を作った瀬島龍三のように。彼らは、配置陣形の重要性に知悉している。

経営者でも突き詰めた人物は美術や建築に造詣が深くなるのも分かるのである。審美眼に欠けた人間は、陣形の頂点に立つには相応しくないしね。

数や形の意味するもの

数や形には意味がある。規則性や形の意味を無視すると、安定性を欠く

 

先日、理系のクラスメートから強く感じたのが、このことだった。最初は、変わった人がいるものだ・・位に捉えていたのだが、数や形というものを意識してみると、彼らの捉え方というのは、間違えていないと思う。

 

例えば・・だ。街の交通標識を意識しながら眺めてみる。丸の場合、正三角形、逆三角形、菱形、長方形・・・静的なメッセージの場合は、長方形。動的なメッセージや警告を送る場合には、丸、菱形や逆三角形。これらの形に色(黄、赤、白、青)を組みあわせ、見る者にメッセージを送っている・・ということに気が付くのである。(色のメッセージは結構わかる人である)

 

また、数や形に加え、建築(アーキテクト)という観点で自分の仕事を眺めてみる。僕の仕事は、建築ではないのだけど、目に見えない建築は数多く手掛けている。例えば、人事制度。

偉さの格付けを示す等級。7等級、6等級・・そもそも、その数にはどのような必然性があるのか?基本的に、組織の大きさや仕事の遂行の仕方によって、その数は変わるはずである。自衛隊の等級は16。日本最古の等級制度は、聖徳太子の冠位12。その数は、偶々で作られていない。明確な思想、組織や職務遂行を効率的に行う組織アーキテクチャの哲学無くしては成立していないはずである。

 

ところが・・だ。企業の等級制度においては、アーキテクトの思想哲学が通っていないものが多い。等級に人数を当てはめて形に転換してみると、ピラミッド型ではなく菱形になっていたり、キノコ型になっていたり・・と醜い建造物のオンパレードだったりする。数の意味も誰も答えられない。

 

職能から職務等級に変えたのに、なぜ等級数が同じなんですか?


組織サイズが同じでも、製造業とサービス業で、等級数は変わるべきなのではないですか?
外部労働市場から、人材を調達することを旨としていないのに、どうして管理職の等級数が7つもあるのですか?

 

結局、人事をつかさどる人間において、形や数の意味というものに無頓着な人間が多いから、美しい建造物にならなかったりするわけだ。醜い形状の組織に会する人間からは、醜いアウトプットしか出てこない。働き方改革の前に、この醜い組織アーキテクチャを変えるべきなのかもしれない

 

経験を積む40代以降にでもなれば、異質な人間との会話より学べ・・と言ったのは『思考の整理学』を著した外山滋比古さん。たった、数時間のことだけでここまでの学びが得られるのだ。にしても、異質な人間との会話というのは、本当に貴重なものだなと思う。

Face up

腰痛とか下半身には問題がないのですが、首と肩がいつも問題。通勤がなくなり、重い鞄を背中に背負うことがないこともあり、肩凝りは少し解消されたのですが、完全ではありません。これは鞄を下げていることが首や肩の凝りの決定的な要因ではないということの裏返しでもあります。

 


そうなると、パソコン操作をしている際の姿勢。もっといえばノートパソコンを操作する際の首を前に傾けて画面をみて操作している状態にこそ真因があると考えた方が良さそうです。

 


前から考えていて実行に移せなかったこと。パソコンスタンドにノートPCを置いて、顔を上げて操作できるようにすること。AmazonでPCスタンドを物色、まずまずの評価のものを購入。使用して1週間。首の負担が減り、肩凝りはほぼ解消しました。

 


やっぱり、顔を上げて背骨で頭は支えるようにすれば、変な凝りは生じないのです。筋力トレーニングとか、筋膜ストレッチも悪化させないにはいいけど、根本療法じゃない。もっと早く採用しておけば良かった…存在は前から知ってましたから。やっぱり人生、顔を上げていかなくちゃダメですね。

エールの台詞から

『音、その夢、僕に預けてくんねぇか。君がもう一度、もう一度夢に向き合える日がくんまで。僕がその夢大事に預かって育てるから。君の夢は僕の夢でもある。その代わり、いつか君にも僕の夢を叶えてほしい。僕の作った曲で、君が大きな舞台で歌う…音は何一つ諦めることなんかない。そのために僕がいるのだから…』

 

 

 

ようやく掴んだ主役の座なのに子供を身籠もってしまう。音は苦悩の中に落とされます。ブレスが上手くできないから、声が出ない。喜ぶ旦那さんの笑顔も重荷。よりによって、なぜ今なのか…

 


失意の底にある音に投げかけた裕一の言葉。背筋がぞぞぞときました。こんなすごい言葉をかけてあげられるなんて。

 


女は結婚したら家庭に入るべき、子供ができたら子育てに専念すべき。戦前の日本では、こんな考えが今よりもっと強かったでしょう。そういう中で、最愛の人に心からの応援ができる。さすが名応援歌の生みの親。心からの愛情にあふれています。

 


しかし、こんな台詞言えるかなあ…

 


ドラマの中には、『この子供、裕一さんが産んでよ…裕一さんは家で仕事ができるし…』という音の台詞もあります。子供を産むことは今も昔も女の人しかできない。そのせいで女性は夢も才能を活かすことも諦めるしかなかった。

 

このドラマでは二人で互いの夢を紡いでいく姿が見えるのが何とも清々しいです。

才能と情熱は引き継げない

才能と情熱が結びついた仕事というのは、誰かに引き継ぐ事だって、真似することだってできない。

 


魂は一人一人違うものだし、才能や情熱というのは魂そのものだから。そして高度なサービス業というのは、情熱や才能が織り込まれてこそ価値が生まれてくる。

 


その本質を解せず、誰かに引き継いでやってもらえばいい、教えてあげればできるはずだ…というのは、実に愚かな考えであり、価値を認めて贔屓にしてくれている顧客の存在を無視することだと言っていい。

 


まあそういう考えの人間は、自分の仕事を愛していないし、人をモノだと見なしている。だから、そういう発言を安直にできるのだ。そういうロボティックな人間の元では、才能も情熱も仕事に織り込まれることは無いだろうね。