Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

ルーツと勇気

僕の息子の一人は僕に似たのかモータースポーツが非常に好きで、今どき珍しくF1放送はすべてチェックしている。過去の有名なレースやドライバーも見ているため、結構話が合う。もちろん贔屓のチームはホンダだ。

イタリアでもモンツァサーキット、フェラーリ、パガーニ、ランボルギーニミュージアムも彼と二人で巡った。

そんな彼は、今年日本グランプリを見に鈴鹿に行った。台風接近のきわどい状況だったけど、何とか名古屋に行きレース観戦。本戦レースは、応援するホンダ フェルスタッペンが早々にリタイアする残念な結果だったのだが…

三重には初めて行った彼だったので、本家は三重の津にあることを教えてあげた。曾祖父の出身は、三重の津であり、東京に出て銀座で文房具店を経営。幼少期の僕の父は、築地で好きな赤身の刺身をよく食べていたのだそうだ。(そして、なぜか息子も赤身の刺身が好物だったりする)


その後空襲などもあり栃木に疎開。そのまま栃木で生涯を終えた。

東京にいたときには高輪にいたらしく、奇しくも僕の父と息子が生まれた港区の病院は、全く一緒だったりする。僕の父は、自分のことを全く話さない人であったため、そうしたことがわかったのは死ぬ直前だったのだが…


そうしたことを何も知らない息子から見ると、栃木や千葉の人間だと写るのだが、実は違っているのである。そして、家系図をたどると三重の武士の出であるところまで分かっている。

自分が初めて赴いた知らない土地にルーツがあったという話を初めて聞く彼。よほど新鮮だったらしくいつになく嬉しそうな表情で聴いている。

『お父さんも三重の津に行っていないのなら、行くとしたら僕とお父さんしかないじゃない…』

自分という存在は、自分一人で成立しているわけではない。自分が知り得ない多くの人たちの想いや苦労の系譜の果てに成立しているもの。だから、そうしたことに想いを馳せれば、孤独なんかじゃないし、自信も沸いてくる。今の若い人たちの自信の低さというのは、核家族化によって自分のルーツを意識することが難しくなったからなのかもしれない。