Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

アイデンティティを貫く覚悟

組織・人材分野・・中でもキャリア領域のテーマとリクルートという会社の人材と事業をすることへの関心。これを形にするために最善の手段だったのが、僕のスポンサーとなっているN社とリ社での共同事業を形にすることだった。


共同事業の意義と将来の可能性、そして展開に向けたプランを練り上げ、N社の関係者に説いて回った。事業の意味はあくまで個人の内にあったものだったけれども、N社においても十分に大義があるものだった。

 

保守的でトップ企業のプライドを持つN社。まるで性質の異なるリ社と諸手を挙げ共同事業に取り組もうなんて話には最初からならなかった。


クライアントのT部長は当初こそ話に乗ってくれたものの、リ社のトップと会話を重ねるうちに言葉には表さないまでも拒否反応を示しだすようになっていた。そして何よりこの事業は成功が必ずしも保証されたものでなかった。上のキャリアを狙う若きT部長においては、この段階で失敗の汚点がつくことは避けたかった。果たして、共同事業の話はフェードアウトをさせるべく、その意思が僕に告げられたのだった。


内なる意味、N社にとっての大義、一方でのT部長の腹の内。僕はT部長への忠義より前者を採ることに決めた。コンサルタントとしては、背信行為にもあたってしまう。だが、N社の社長や事業統括部長の立場でこの意思決定を考えたら、背信行為にはならないはずではないか。


言質を取るべく、僕は社長と統括部長に状況を説明し直訴をした。T部長にとっては、寝耳に水の出来事。僕の行為はT部長に糾弾されつつ、大会社のN社社長や統括部長の庇護の下で僕は守られ、新規事業の推進リーダーとして僕は事業を継続することになったのだった。


多くの関係者を混乱に巻き込み、自身においては退職勧告までも突き付けられた出来事。でも、内なる意味を仕事に100%反映させた毎日は至福の一時だった。全くの未経験、未知の分野だった組織、人材分野。リ社との共同事業の中で、真っ白だった僕のキャンバスには形と色が徐々に形作られていくことになった。選択は間違えていなかった。


そんな中、何度かリ社の人からは声をかけていただいた。
『お前は、この会社に向いている・・』


僕はその呼びかけには応えなかった。そもそも、僕は事業会社を志向する人ではなくコンサルタントという仕事を愛してきた人間。そこで積み重ねたものも無くしたくなかった。そして何より組織・人の分野においては圧倒的に知識、経験が足りないと思っていた。自信もなかったのだ。


共同事業を行った夢のような3年間が終わったあと、僕はここで見つけた確信を拠り所に、テーマをコンバートすることにした。事業部も変え、そして最後は専門会社に転職をすることにした。


30代も半ばにして知識と経験をご破算にして新たなテーマに臨む。傍目には格好よく映るかもしれない。毎日むさぼるように本を読み、ノンチャージで良いのでプロジェクトに入らせてくれとPMにお願いし、知識と経験を少しでも積み上げられるように必死だった。独り身だったら良いかもしれない。でも家族5人の生活を預かる中で、新たなチャレンジというのは正直綺麗ごとだけでは済まなかった。短い時間で立ち位置を築かなければ、家族を不安の下にさらしてしまう。


そうして30代が過ぎ去り、40歳のタイミングで僕はリ社で仕事をすることになった。またしも新規事業開発のスタートアップメンバーとして。時はリーマンショック後でコンサルティング会社においては全く案件がなかった。これも天の声。


満を持して始めたリ社での新規事業開発だったが、当初はまるで形にならなかった。コンサルタントとして外部からアドバイスをすることがなんと簡単なことか。事業が形にならなかったら、1年契約更新のプロ契約は終了。全知全能を振り絞って生き残りと事業のブレイクに向けた糸口を探すしかない。心を抉られるような3年の苦闘の果てに事業はなんとか形になった。


事業会社、コンサルティング・・会社のドメインを変えること。テーマを大きく変えること。不安定な環境でもいかに初志を貫けるのか。最初のうちは必ず愛と覚悟が問われる試練が来る。そして新規事業というのは、起業精神そのもの。組織における意義よりも個人の中にある情熱と確信のほうが大事だと今でも思っている。