Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

My mission

一生のうちで働くことに投じる時間は膨大だから。意思、感情、才能というものを反映させない働き方を自ら選んでし続けるのは、自分が生かされている事由に背を向け、死んだような生き方をしていることと同じこと。

 


自分の仕事にこだわりを持たず、上司の顔色にしか関心がロックオンされていない人というのは、見ていてとても残念な気持ちになる。そうした仕事のやり方は結局自分という人間の価値を毀損し、自らの事を傷つけてしまうのに。

 


先日、ある会社のEQを測定したら全体傾向として、「結果を見据えた思考」「感情のナビゲート」が異様に高く、「内発的なモチベーション」「共感力の活用」が極端に低かった。

 


要は、空気ばかりを読んで自分の気持ちを押し殺し、相手の気持ちも配慮せずにやらされ仕事をいやいやしているという姿なのだ。

 


思うのは、程度の差こそあれ「創造的な仕事」というのは、自分の意思、感情、人格、才能といったものと、切り離して成立するものではないということ。

 


人は、狩猟社会→農耕社会→工業社会の移行を経てきたが、それぞれの移行段階において50倍の生産性向上を図ってきた。だが現代、知識創造社会においてはその果実を手にしていない。

 


フランクリン・コヴィー氏は、知識創造社会において生産性を飛躍的に向上させていく上では、ヒトをモノとみなすのではなく、「精神」「肉体」「情緒」「知性」を持った存在として扱い、その可能性を拓いていくことだと言っている。ドラッカーによれば、それこそが現代社会におけるマネジメントの使命ということになる。

 


難しいのは、「精神(人格)」「情緒(感情)」「知性(能力)」は、インタンジブル(目に見えない)であるということ。マネジメントも企業経営もインタンジブルな対象には、積極的な関心をおけないしそのセンスを持つ人材は限定されているということ。

 


だがもし、そうした働き方が多くの人において出来るようになるのであれば、自己の生かされている理由を感じながら、創造的かつ生産性の高い仕事をすることで、精神的にもより幸福な社会が実現されるようになるのだろう。そして、その時の職場は今の形とは違うものになる。

 


僕が貢献していきたいと考えているのは、人間を全人格的な存在として扱い、その可能性を開花させ個人も社会も豊かになれる社会の実現であり、そのための仕組みを作っていくことだ。