Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

トランジションの引き金

人の出逢いは、何らかの意味がある。こと組織・人事に携わる人間であれば、人の可能性、成長を信じたいし、一期一会の出逢いにおいて相手に寄り添い可能性を拡げる存在でありたいと思う。

 


でも、人の覚醒や成長というのは、短期的な目で見れば作用反作用の法則にならないことも多い。相手を想って力を注いでも、想いは届かないし反応も返らないことも多い。そして、無反応の状態はかけた思いの分だけ、自分を苦しめることになる。片想いの恋愛が自身に身もだえするほどの苦しみを与えるのと全く同じで。

 


この世の中においては、人は根本のところですべてわかり合えるわけではない。そもそも、繋がれないし繋がろうとする意思や繋がりを形成する能力というものが完全に欠落した人だっているのだ。これも、厳然たる事実だ。

 

 

 

そうなると、相手を信じ成長を期待する、待つというのは一方的なエゴになる。相手のためといいつつ、苦しんでいるのは自分のエゴがもたらすものだったりする。

 

 

 

『得手に帆あげて』という考えが僕は好きだ。得手でないものを身につけさせるのではなく、与えられた天分を活かす…それは能力というより、内から湧き出る動機を活かすというものだ。

 


そうなると、得手でない、動機がないことを無理にさせることは、自然に反している。バナナを北海道で栽培しようだなんて思わないことだ。品種改良にも限界がある。土地にあったものを根気よく栽培していくしかない。

 


この観点に立つと、人を信じることと『諦める』というのは全く対立軸ではない。その人に合っていない選択であれば、根気よく指導して成長を待つだけではなく、向いていないということを『明らかにする』という『諦めること』が相手の可能性を拓く時間と機会を与える、未来志向のスタンスなのだと思う。もちろん、それはトランジションが伴うものだから、相手は苦しむことになる。

 


でも、新しい自分を見つけるためには苦しみが不可避だし、それを見たくない、トランジションの引き金を引きたくないというのも、ご都合主義なのだ。冷たいかもしれないけど、時にはそれが相手を信じる本当の愛情なのだと思っている。