Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

習慣の産物としての体躯

僕くらいの年代になってくると、その人の体躯というものがその人の習慣を表していると感じ入ることが多い。


体躯が崩れるだけならまだいい。高脂血症、高血圧、肝機能障害、糖尿病、痛風・・これらは生活習慣病と名付けられているけど、言い得て妙。先天的なものもあると思うけど、おおよそその人の『習慣』が病に至らせた原因であったりするから。因果律インサイドアウトの原則。食習慣は、「アウト」としての体に反映される。

 

そういう人においては、ダイエットに取り組んだり、食事の改善に取り組む・・いつか取り組まざるを得なくなる。


だけど、端で見ていると『習慣』は全く変えておらず、短期的なイベントに留まっていることに気がついてしまう。今日は、こんなことを頑張ったんですよ・・と。そういう人においては『我慢』や『頑張り』を掲しているのだが、習慣になっていないからこそ非日常の『我慢』をあえて掲げようとするのでしょう。そして、短期的なゴールが達成されると、習慣の力に押し戻されてリバウンド。


カロリーの固まりの酒なんて毎日飲む必要なんてないし、塩分と脂肪の凝縮されたラーメンなんて食べる必要もない。それが習慣になっていれば、誇ることでもなんでもない。


まあ、人の習慣とかってとやかく言う立場にはないけど、少なくとも他人に「自律」を説いている講師の立場に立つ人間が、煙草を吸ったり、だらしのない体を晒していること。それって、ぜんぜん説得力無い。そのことに気がつかないとね。


僕のあくまで個人的な考えなのだけど。結婚してステディが出来た以降は、飽食の限りを続けてブクブク太っちゃう男って何なのよ・・って思うのです。それって、相手の女性に失礼なんじゃない・・と。


GWで子供連れの夫婦をよく観察して見るのです。奥様はとてもスマートで綺麗にしているのに、それに引きかえ旦那の締まりの無い体・・あなたも奥様に似合う男になれよ・・なんて思ってしまうのです。