Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

ソルフェージュの勘違い

小学生の時、ピアノを習っていた。親に習わされたのではない。自分から頼んで行かせてもらったのだった。3年生の時だった。

 


珠算と書道は、親の言いつけで半ば強制的に行くことになっていたから、放課後は毎日習い事のような生活。それでも、やってみたかった。小さい頃は、なぜかクラシックが好きでピアノの音色がお気に入りだったから。

 


小2の時に両親は、千葉に家を買い引っ越しをした。念願だったピアノを買ってもらえることになり、晴れてピアノを習うことになった。

 


ただ、僕は音符をうまく解することができなかった。先生に弾いてもらって初めて楽譜に音が載って解釈ができる。その状態からついに抜け出ることができなかった。

 


曲の難易度が上がるにつれ、この欠点はいよいよ無視できないものになってきた。そして、相性のよかった先生が海外転勤で代わり、厳しく相性の悪い先生になったことで僕はピアノへの情熱が急速に減退してしまった。ついに、中学受験のために塾に行くことでピアノをやめてしまうことになったのだった。

 


僕が音符を解釈できなかった一つの理由。それは、ソルフェージュを勘違いしていたことにある。ソルフェージュは、音譜を読むための基礎訓練。だけど、僕はソルフェージュを音に合わせて声を出す、発声練習と捉えていた。しかも、音が耳で拾えればその通りの声が出せる。肝心の音符を読むことに全くつながらなかった。

 


考えてみれば、ピアノより声楽の方がよかったのかもしれない。ピアノより発声をするソルフェージュの時間の方が好きだったから。でも、それは後になってわかること。当時は自分も選択肢もわからない。でも、好きなこと興味のあることを始めるのに、年齢なんて関係ない。気づいたときが自分に取っての適齢期。40歳になったときに出会った教会音楽は、僕にとっての文字通り福音だった。

 


音のある生活のなんて豊かなことでしょう。辛いことや嫌なことがあっても、パイプオルガンの音に合わせて歌を歌えばすべて洗い流されてしまいます。そして、声域だって狭くなってないし、声楽を始めてから拡がってきたもの。そして、中高時代に取り組んだ合唱が飛び石のように今に繋がっているのですからね。