Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

家宅の人

子供のいる家庭を放棄し、女優を愛人として放蕩生活を続けた壇一雄の自伝的小説「家宅の人」。家宅の人とは、燃え盛る家のように危うさと苦悩に包まれつつも、自分は少しも気づかずに遊びにのめりこんでいる状態を指すのだそうです。

 

壇一雄はこの作品が遺作になりました。

 

娘の壇ふみさんが父の面影を追って小説の舞台ニューヨークを訪れるNHKドキュメンタリー。再放送がされていました。初回放送は2001年ですから、今から約18年前。壇ふみさんは40代ですが、少女の面影を残し知的で綺麗な方です。

 

父の赤裸々な自伝小説を読み進めながら、滞在したホテル、小説に登場する場所に赴きます。遺作となった家宅の人は、映画化が企画されるも家族の反対で頓挫。恐らく奥様の意向だったのでしょう。

 

それも当然で、こういう状況は正気の沙汰を超えて、もはや狂気の世界。純愛と言えば格好が良いのかもしれませんが、失楽園もそうですが純愛というのは、単なるエゴの愛が昇華したものだったりします。周りにおいては、その狂気に振り回され、不幸のどん底に突き落とされるわけです。僕も嫌です。こんなの。

 

壇ふみさんも、小学校の時は狂気の父親との生活において、なぜ自分だけがこんな目に遭うのだろうと、いつも泣きそうな気持ちになった・・と回顧しています。

 

作中の壇ふみさんは、冷静な視点で父の足跡を追っていきます。そして、ニューヨークから送られた手紙のことや時折見せた父の優しさを回想します。もはや、浄化され赦しの境地で父を見ているのです。

 

壇一雄さんも瀬戸内寂聴さんも自身の業の深さを題材にした自伝小説を書いています。恐らく書かなくてはいられないくらいの業の重さに自身が耐えられず、カタルシスを得るのが小説という手段だったのだと思います。そして、通常において体現し得ない突き抜けた狂気の経験も表現の力を得ると美しい芸術になり、多くの人の心をつかむのでしょうね。