Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

寂寥感と感受性

本当の寂しさを知っている、現在進行系で味わっている人というのは、感性が研ぎ澄まされている。そういう人の発する言葉は胸に突き刺さる。


感性が豊かな人の宿命だと思うのだが、様々なものを感じ、理解してしまう人というのは、同時に大きな寂寥感を抱え込んでしまうもの。そして、誰もが感性が豊かでなくても、思春期、青春期には寂寥感を多かれ少なかれ抱え込んでいるのだと思う。それが、段々と無くなっていく。実際に、家族ができたりすることで寂寥感を持たずに済むのかもしれないし、感受性が鈍くなってくる・・その両方なのかもしれない。だから、恋愛をテーマにしてきたアーティストは結婚をしてしまうと行き詰ってしまう。特に女性アーティストは難しいよね。子供を守る母親というのは、強くなくてはいけないから。


人が一番寂しくなるのは誰かとても好きな人ができたときか、とても信じていた人と心が通わなかったとき。


槇原敬之さんの初期のアルバムは、感性が豊かで寂寥感を一杯に抱え込んだ人ならではの、歌詞と曲。でも、この10年はそういう曲はもうないよね。きっと、今は誰かステディな人がいて、きっと寂しくないからのだと思う。もしかしたら、そういう感覚を突き抜けてしまったのかもしれない。


人は、孤独には強く出来ていない。だから、孤独から抜け出したいと思う。宗教というのは、孤独の辛さを癒やすという側面がある。一方で、そこから抜け出てしまった人は、真のところで人の心を打つ美しい言葉を発することはできなくなってしまう。ちょっとそこは皮肉だね。


とはいえ、人は完全に自分を理解してくれる人に出逢えるなんてことはない。その意味では、人は孤独という十字架を背負って人生を旅するものなのだと思う。同じような重荷を背負って旅をする人との出逢いや、美しい自然の造形美に一時の癒やしを得ながら。

 

https://www.youtube.com/watch?v=LJsBljBa2eU