Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

真実の鏡

ファッションに頓着する方ではないのですが、ファッションというものは体型の崩れや失われた若さを補完しているところが多分にあり、お金をかけない装いがフィットするようでありたいと思うわけです。


シンプルなデニムジーンズ、無地のTシャツ、スニーカー。お腹が出ていたらダメ、か細い二の腕でもいとつきづきし。それは、ハングリーさをなくし退化した大人の姿。やっぱ、ロックンロールだろ・・と。


とはいえ、基本はぐうたらでストイックな人間でもなく、ランニングや腕立て伏せをする習慣の結果、学生時代からウエストインチは29で変わっていなかったりするのがささやかな僥倖であったりするわけです。


別に家族には自身の習慣の意味などは昔から話すことはなく、風呂上がりに腕立て伏せをしたり、週末は夜中にあくせくランニングをしていると、『団欒の時間になぜあなたは2時間近くもランニングに行くのか?』とか『風呂上がりに腕立て伏せをするなど、汗をかいて意味がない!』といった非難をされるわけです。


これについて、細かい背景理由を説明したり、習慣と家族とどちらが大事かという論点で話すと、ロクな結果にならないことはわかっているので、そうだよなあ・・と頷きながら、いつもそろっとランニングには行っているわけです。


そのくせ、トレーニングのインターバルが空いたり、飲食が過ぎた結果、腰回りがフワッとしたり、腕のハリがないと、その時だけはツッコミが入るわけです。『もっと、昔のほうがたくましかった・・』とか『やっぱ、お父さんも中年だから仕方がないのかなあ・・』とか好き放題。うーむ、屈辱・・なんやねんあんたら。


子供に至っては、30年後の自分にも同じセリフを言ってくれよ・・なんて心の中で思うわけですが。まあ、真実の鏡ですから仕方ないですね。