Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

手賀沼サイクリングロード

昭和50年代前半。我孫子市は、東京のベッドタウンとして急速に開発された。そのしわ寄せはそこかしこで見られた。住宅街から一歩離れた造成地には、瓦礫が積み上げられ、街を流れる小川には排水がそのまま流れ込んでいた。自然豊か…というより、不調和ばかりが目立っていた。


手賀沼は、その最たるもの。夏は異臭を放ち、岸辺の葦の間には生活ゴミが滞留、自然の美しさというより、寒々しさが第一印象。かつて白樺派の文豪やバーナード・リーチが愛したという風情は、遠い昔。その気配はほとんど感じることができなかった。

 

それでも、親につれてきてもらったのを契機に、未整備だった沼辺のサイクリングロードは自転車でよく走っていたし、地元の野鳥の会に入りバード・ウォッチングしていたこともあったので、周辺に残る自然の美しさは、普通の人よりは感じ取ることができていたのだと思う。


今思い返しても不思議なのは、友達も誰もいない、自分と大きく年の離れた中高年の大人たちしかいない野鳥の会に、独り入っていたこと。ゴールデンウィークの愛鳥週間に伴って市民会館で開催されていた野鳥の会の展示会。野鳥の写真パネルに釘付けになってしまい、親に入会を懇願したのだった。孫のような年端の僕は、周りの大人に大変可愛がってもらった。もう、あの人達もその殆どが鬼籍に入ってしまっていることだろう。


就職をして、小さなオープンカーを買った事を機に、自転車は単なる駅への通勤手段になり、サイクリングロードに行く機会はなくなった。うちに、僕は結婚して地元から離れることになった。


今回、初めてロードを輪行バッグに入れて実家の母のもとに行った。免許を返上してしまったから、車をちょっと借りて沼に夕日の撮影をなんて事ができない。ならば、自転車を持っていこうと考えたのだった。

 

久しぶりにサイクリングロードを走った。道の素晴らしさは、手賀沼エコマラソンの参加経験を通じて分かってはいたのだけど、想像以上だった。それは、手賀沼が長い時間をかけて本当に美しい沼に生まれ変わっていたということ。もう、葦の間に絡みついている生活ゴミなんてないし、水も澱んで異臭を放っていない。水面を渡る風は爽やかで、繁殖に励む様々な鳥たちの声が聞こえてくる。沼を一周してみて改めてそれを感じた。


やっぱり、乗り物の中では自転車が一番。もっと、早くこうしていればよかったな。f:id:ishibahomare:20180602114243j:imagef:id:ishibahomare:20180602114251j:imagef:id:ishibahomare:20180602114300j:imagef:id:ishibahomare:20180602114314j:imagef:id:ishibahomare:20180602114308j:imagef:id:ishibahomare:20180602114321j:image