Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

40代のキャリア群像

昨年の今時期のこと。白金台駅を降り、三光坂に向かう細道。向かいから歩いてきた人に、突然名前を呼びかけられた。名前が思い出せない。僕の大学時代の同級生だっただろうか・・

 


しばらくして思い出す。以前に新規事業を共に推進していたクライアント企業のSさん。だいぶ雰囲気が変わっていたので全く気が付かなかった。最後に会ってから、もうかれこれ10年位たつ。僕は娘の授業参観に行く途中、Sさんたちは夫婦で参観して帰る途中なのだった。

 


久しぶりに言葉を交わす。Sさんの娘さんはなんと僕の娘と同学年。中学、高校と6年間まったく気が付くことがなかった。


Sさんは、企業の枠を超え事業を共に作る同志だった。今から14年前のことだ。理工学部を出て優秀なプロジェクトマネージャ。人柄も温和で部下への面倒見もいい人だった。彼は、僕が持ちかけたキャリアをテーマにした新規事業を真剣に、情熱をもって取り組んでくれた。事業会社にありがちな、取りあえず上に言われたから担当することになりました・・・的な人とは一線を画していた。心底に思い入れを持っていることを随所に感じた。彼のような人がいたことに、僕は心から感謝をした。

 

その事業に携わったことをきっかけに僕は組織・人事の仕事に大きく舵を切っていった。結果、会社も変わることになった。彼は、わざわざメンバーを集め壮行会を開いてくれた。折しも彼には、思い入れ深い事業から離れることになる異動辞令が出されていた。


僕は、あの時の彼の無念そうな顔が忘れられない。僕は、会社を変わり、彼は忸怩たる思いを抱えて新しい事業部に移っていった。


名刺交換をした。30代で若くして課長に昇格していた彼。タイトルは変わっていなかった。彼のいる会社では、40代で上に上がれていないと先のチャンスは極めて低い。別にタイトルや上級職を目指せるチャンスがあるかないかなど、どうでもいい。ただ、部長になれていないと仕事の自由度は大きく下がる。自分らしさを活かした働き方はしづらいのがその会社のスタイルだ。心なしか、当時に比べ瞳に宿る光が陰り、若さを失っていたのは、経過した時間ではなく物事にある種の割り切りをしたからかもしれない。


彼のような人こそ、上がってほしかった。出来た人だから、『僕に力がないだけなんです・・』と苦笑いをして言うに違いないけど・・