Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

忘れたい過去と青い鳥

私が美人だったら、あの人は気に留めてくれるのだろうか..


自分の容姿が嫌いだった。学生時代に付けられたあだ名も容姿にまつわるもの。呼ばれる度に心が傷んだ。でも、そんな様子を見せるとよけい自分が惨めになってしまう。強がって作り笑顔で返した。顔を上げ、相手の瞳を覗き込める、屈託のない笑顔を振りまけるクラスメートが心から羨ましかった。性格が大事だなんて嘘。結局、人は外見に左右される。自分の性格すらもこの容姿で左右されてしまうのだから。


就職して最初の会社を辞めたとき。自分の容姿と決別する覚悟を決めた。数少ない学生時代の友人とも連絡を絶った。昔の私を思い起こさせる友人など、なんの意味があるだろう。私は過去の自分と訣別するのだから・・

 


僕の中には、自分の容姿と決別した彼女と似たような感覚がどこかにあった。そこまで鬱屈とした状態ではなかったと思うけど、浪人が決まったとき、誰にも会わない予備校を選んだのも、それまでの自分を捨て去って変わりたかったから。

 


大学に入学し、僕はそれまでの鬱屈とした過去とは一線を引くことができた。同時に、中高時代の友人たちとは疎遠になった。同窓会の呼びかけにも応えなかった。今の自分は好きだけど、昔の自分に引き戻されることに気持ちがどうにもそそられなかった。

 


年月は流れ30代も半ばを過ぎた頃。僕は誘いに応え同窓会に出席することにした。それを機にクラスメートたちとオンライン上でも交流を持つようになった。心の何処かに澱のように抱え込んでいた気持ちは、気がつくと無くなっていた。年齢を重ね、家庭でも仕事でも自分のスタンスが確立されてきたからなのかもしれない。

 


顔を見上げクラスメートたちと話をする。同じ環境で思春期を過ごした友は、互いの環境や専門分野は今や変われど、似たような価値観、考え方。繋がりと拡がりが感じられる。これからの新しい自分を作ってくれるのは、自分の足元、原点にあったりする。まるで、探し求めていた幸せの鳥は、実は手元の鳥籠にいた・・『青い鳥』の話みたいに。