Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

オールかハーフか

オールかハーフか。と言っても、マラソンのことじゃありません。革靴のオールソール交換かハーフソール交換かというお題。


先日の出張帰り。だいぶ履いてきたリーガルの底が割れてしまったのです。自転車のペダルエッジでソールを傷つけるから致し方ないとは思うのですが。以前に同じ修理をショップで頼んだら2万円近くかかり、新品を買ってもよかったじゃあないか…という出来事があり。今日は、様々な修理店を回ってみたのです。


ネットで調べてオールソール交換が安いという店をピックアップしては、有楽町、五反田、目黒と数件巡ってみたわけです。18000円、15000円、12000円…オールソール交換だとやっぱりそんなもんです。アッパーのよれ具合だと、オールソール交換する価値があるか正直微妙なところ。ヤフオクでお値打ち新品のリーガル手に入れたし、こりゃ廃棄か自分で修理してみるか…でも、靴って自転車や自動車とちがって、ネジで外して交換という代物じゃないからね…きれいに直せる予感無し。


最後に思い直して地元武蔵小山にリーズナブルな修理店があることを発見。お店で聞くと、ハーフソールでも直せなくはないよ…と。お代は、2100円。きれいに直してくれて、大変満足。チェーン店ではなく昔から夫婦でやっているお店で、ハーフソール交換料金にしてもかなりお値打ち。


今日は、革靴をもって都内を自転車で修理店巡りに走り回ったわけですが。青い鳥よろしく、身近なところに良いお店があったりするものです。ま、自転車乗るの好きなので、探し物の目的を借りて休日の都内を走るのも悪くはないけど。


僕は、15キロ圏内だったら間違いなく車ではなく、自転車を使って移動する人です。車は、ワゴンで動きがもっさりしていて自分の意のままにクイックに動かないから嫌いなんです。近郊なら自転車に勝るものなし。娘には、お父さんフッ軽だねとそのたびに言われるのですが。


自分の意のままに、体を動かしたり、風を切って移動できるという事って無上に気持ちいいと思うのですがね。

『諦める』は『明らかにする』

NewsPicsで特集されている沼田尚志さんのインタビュー。スーパーイノベーターの彼の生い立ちに迫る中で、青春期の不条理な病の出来事が出てきます。


中学時代に突如脳梗塞を発症し、三ヶ月も意識が戻らなかった彼は、一命を取り留めたものの重い障害を残した状態となります。懸命のリハビリを経たものの右半身が動かない。


青春を謳歌する仲間を見る度に絶望に襲われます。「この世から消えて無くなりたかった…」


そんな彼は、古文の担任だった先生の一つの言葉に救われます。『沼田はもっとあきらめたほうがいい』


それは、一見残酷な言葉のようであるものの、ネガティブな「諦める」ではなくて、古文の「あきらむ」が語源の、明るい光のもとでものごとを「明らかにする」という意味だった。


彼は言います。


"できることとできないことを明らかにする。野球やサッカーはできないのだから、そんなことをしようと思わなくていい。できることだけをやればいいというのが、先生のメッセージでした"


"これは自分の中で、大きな変革でした。そうか、ネガティブな意味ではなく「あきらめて」生きればいいんだと。だから自分で言うのもなんですが、私ほど「あきらめて」、ものごとを分けて考えている人間はいないだろうと思います。あきらめることで可能性を見いだしているんです"


できないことをあきらかにする、残ったものの中から可能性を見いだしていく。明らかにすることは、断念することではなく、未来に繋がる自分だけの道を歩むための大切な過程。


中高年のキャリア研修では、自分のことも、未来も全く文字に起こせない人が大勢います。だから、中途半端な未練だけを残し次にいけないのでしょうね。


それにしても、日本語というのは言葉の裏に真理が隠されているというのが何とも味わい深いですね。

 

寂寥感と感受性

本当の寂しさを知っている、現在進行系で味わっている人というのは、感性が研ぎ澄まされている。そういう人の発する言葉は胸に突き刺さる。


感性が豊かな人の宿命だと思うのだが、様々なものを感じ、理解してしまう人というのは、同時に大きな寂寥感を抱え込んでしまうもの。そして、誰もが感性が豊かでなくても、思春期、青春期には寂寥感を多かれ少なかれ抱え込んでいるのだと思う。それが、段々と無くなっていく。実際に、家族ができたりすることで寂寥感を持たずに済むのかもしれないし、感受性が鈍くなってくる・・その両方なのかもしれない。だから、恋愛をテーマにしてきたアーティストは結婚をしてしまうと行き詰ってしまう。特に女性アーティストは難しいよね。子供を守る母親というのは、強くなくてはいけないから。


人が一番寂しくなるのは誰かとても好きな人ができたときか、とても信じていた人と心が通わなかったとき。


槇原敬之さんの初期のアルバムは、感性が豊かで寂寥感を一杯に抱え込んだ人ならではの、歌詞と曲。でも、この10年はそういう曲はもうないよね。きっと、今は誰かステディな人がいて、きっと寂しくないからのだと思う。もしかしたら、そういう感覚を突き抜けてしまったのかもしれない。


人は、孤独には強く出来ていない。だから、孤独から抜け出したいと思う。宗教というのは、孤独の辛さを癒やすという側面がある。一方で、そこから抜け出てしまった人は、真のところで人の心を打つ美しい言葉を発することはできなくなってしまう。ちょっとそこは皮肉だね。


とはいえ、人は完全に自分を理解してくれる人に出逢えるなんてことはない。その意味では、人は孤独という十字架を背負って人生を旅するものなのだと思う。同じような重荷を背負って旅をする人との出逢いや、美しい自然の造形美に一時の癒やしを得ながら。

 

https://www.youtube.com/watch?v=LJsBljBa2eU

手賀沼エコマラソン

育った地元という事もありますが、手賀沼は誰が訪れても美しく素晴らしいマラソンコースだと思います。印旛沼沿いを走る佐倉朝日健康マラソン(フル)も素晴らしいですが、いかんせん遠い。荒川や多摩川は、単調で飽きちゃう。だから、ここは人気なんですよね。


スタートの最寄り駅である北柏は、目黒から1時間。実家で独りでいる母の元に顔を出すことも出来る。最近では、僕より母の方が時期を覚えていたりします。


昨年は、雨のコンディションでしたが今年は風もなく、午前中は日も陰り気温も低め。マラソンには、ベストコンディションです。


今回は、ロードバイク輪行バッグに入れて持って行きました。高齢の母は、免許を返上し車がなくなってしまったので、実家に行っても機動力が無いのです。レンタカーをいつも借りるほどでもないし。とはいえ、輪行バッグへの封入は、ちょっとした手際のコツというものが必要で。朝の駅で見積もり以上に解体に手間取り、スタートポイントには5分前着。普段同様、時間ギリギリ…早起きしたのにね。


レースは、序盤飛ばしすぎて少しタレてしまったのですが、後半はキロ4:30のイーブンペースをキープし、手元ネットタイムは1時間35分50秒。普段は、大した練習をしていない割には、上手くタイムをまとめられました。やっぱり、早いランナーに食い付いていくとピッチを上げられます。この時期を考えてもこのタイムは満足です。


ここのコースは、手賀沼をきれいに見渡せる湖畔沿いのコースが殆どで、今日みたいな日は最高に気分が良い。サポートもしっかりしていますしね。何と言っても、馴染みのある地元の景色ですからね。いろいろな思いがよぎります。


午後は母親のところに立ち寄り、お昼と夕飯をお相伴。日没の時間が近づいてくると、母親は僕の行動が分かっています。そう、ロードを持ってきたのは夕間暮れの手賀沼を見るために他なりません。


今日は、雲が厚くてダメかなあと思いましたが、16時前からは一掃。僕の好きなフィッシングセンター近くのポイントからは、絞ったばかりの綺麗な夕陽。茜色に染まったサイクリングロードを滑るように走る。気分最高。輪行してきた甲斐があったというもんです。


永遠なんて無いですけど、少しでも母親には元気でいて欲しい…こういう安心した気持ちで景色を見られるのも、元気な母がいてこそだから。

 

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スパイシーフィードバックの意味

朝一のドキュメントレビュー。彼女のドキュメントを見て、僕は首をひねった。読む気も起きない、頭に入ってこない。それを告げ、手書きで新たに書き起こしたスライドを見て、彼女の顔はみるみる歪んでいった。目からは大粒の涙。


前回、僕は彼女にかなり厳しいフィードバックをした。出張続きでみてやれなかったから、ちょっと可愛そうなのだが、このレベルでは顧客には到底出せる代物ではない。関西のクライアントだったから、早朝の新幹線で大阪入りし、現地オフィスで二人で顔を突き合わせ資料修正。なんとか午後の打ち合わせに間に合わせた。


前職での経験とか、他のプロジェクトで指摘を受けていないとか、そんなのどうでもいい。僕においては、相手にとって分かりやすく、問題の本質をやさしくシンプルに伝えるドキュメントに仕上がっているかどうか。それだけ。


僕は、冗長な文章がぎっしり詰まっていたり、整理されているかのように見えながら、その実なんの整理にもなっていないドキュメントを見ると、イラっとしてしまう。相手の視点に立っていないから。そこをかなり厳しくフィードバックした。それがすっかりと彼女のクセになっているのだ。


そもそも、スライドというのは直感的に理解をさせるためのものであり、じっくり文字を読ませるものではない。プレゼンテーションというのは、語源がプレゼントなのだから、相手にとって大事なものを選び取って送り届けてこそ価値がある。なんでも、詰め込めばいいというもんじゃない。


そういう一件があったので、彼女も満を持してかなり時間をかけて作成したのだと思う。だが、全く出来ていない。物事を俯瞰して見た上で大事なものをシンプルに整理したとはとてもいい難い。でも、それって修練を積まなくちゃいけないし、出来るようになるにはかなり時間がかかる。僕もそうだったから。


あー泣かせちゃったなと思いつつも。真実を言わないで裏で出来ない人だと言う方が僕は罪だと思う。人が育っていないとか言う前に、厳しいフィードバックでその人が抱える課題をマネージャーとして伝えてないから、いつまでもそれでいいと思って停滞するのだ。

 

僕だって、厳しいフィードバックを様々な人に受けてきて今がある。変に相手を慮ったり、まあいいかと流されて勘違いしていたら、僕のような愚か者はきっとすぐに自己満足してしまっただろうから。

日本型雇用"変革"への冒険

今のキャリアの礎となったのは、ある企業との出逢いとそこで取り組んだ一つの大きな課題だった。その課題とは、「定年延長」。遡ること2011年のことである。当時は、定年延長に踏み切る企業がごく少数だった。当然、大手企業における事例などはない。


定年延長においては、総額人件費の増加、上位役職者の滞留、モチベーションやパフォーマンスが低下した中高年の増加などの問題が生じるため、普通の企業であれば及び腰になる。定年は伸ばさず、再雇用制度で凌げればそれに越したことはないのだ。エイジレスというテーマは、低成長、高年齢化におかれた中で、日本企業の一番の苦手科目と言ってもいい。


業績が好調で拡大基調路線の中で、人材不足なら話は分かる。だが、そうではない。聞くとオーナーの強い意向なのだという。年齢で雇用を切り捨てる定年制度は、日本だけが持つ悪習である。自身の信念、会社理念であるフェアネスの精神に反している。この悪習を在任期間中に何としても無くしたいのだ…と。


慌てたのは人事部である。翻意を何度か促すもそれは叶わず、定年を延長することから取り組みを開始するで合意をみた。だが、成功のための方策も知見もない。そこに外部アドバイザーとして入って欲しいのだ…と。


これまで見る限り、人事制度改革、キャリア自律、代謝施策この3つ合わせて支援してもらえるコンサルタントは、どこにも見当たらない。何としても支援してくれないか…


当時、僕はリクルートの新規事業開発のミッションを負っていた。事業の種は見つからず、売上も無い。ゆくゆくこの状態が続けば、僕も組織解体で放出されることは自明だった。


この案件は、そんな自分たちに渡りに船だと思った。だが、上層部は乗り気ではなかった。コンサルティングではスケールする事業にはならない。お前をコンサルタントとして採用したわけではないのだから…と。確かにそうである。リクルートは、スケールするビジネスでなければ事業とは言わない。だから、HRコンサルティングサービスは、リンクアンドモチベーションとして切り離している。


だが、眼の前の『不』を解消することがビジネスのチャンスに繋がるのではないか。とにかく、この好機を逃したらこの事業は、立ち行かないのでは?というある種の直感が僕にはあった。だから、何としてでも上を頷かせるロジックと体制を作ってこの案件に取り組むのだ…


こういう思いに取り憑かれたときは、自分でも信じられないような力が出る。僕は、上を頷かせるロジックと体制を作ることに成功し、案件はスタートした。未知のテーマと取り組み、クライアントと汗を流した中で事業の種もできた。そして事業も成長し、ファーストクライアントだったこの会社からの委託額は、億を超えるものになった。


僕が、リクルートを契約満了になったときも助けてくれたのはこの会社だった。移籍先に契約を全面的にスイッチしてくれた。積み上げた事業から離れ、無一物なった僕に信頼を寄せ、案件を任せてくれる事が何より有難かった。一緒に働いた方々は、口々に言ってくれた。


「自分たちのことをここまで理解して、愛してくれている人だから、お願いするのです」


とはいえ、全幅の信頼をくれたプロジェクト責任者は更迭の憂き目に遭い、積み上げた信頼もずいぶん失われた今期。だが、後任のリーダーの方も信頼を寄せてくれた。何より残っていた部下の方々が後任者に口添えをし応援をしてくれた。人が生きる上で最も大切なことは立場を越えた「信頼」なのだと肌身を持って知った。


今日は、その企業に対するキャリア研修の講師としての登壇だった。


「終わった後にお時間を頂きたいのですが?」


行ってみると、後任のリーダーといつもの部下達、そして新たなメンバーは会議室には揃っていた。話は、さらなる挑戦に向けた支援のお願いだった。おそらく、この規模の会社では、日本の企業では初の試みなる。相当に難しい。


「2011年の時と同じか、それ以上の挑戦をすることになります。僕らの総意として、石橋さんにお願いしたいと思っています。見積もりを出してもらえますか?体制にはもう組み込んでいますから」

 

「成功できるか分かりませんが、僕らに最後まで付き合ってくださいね」


機会を自ら創り出し、機会によって自らを変えよ。新しい仲間とまた未知なる冒険が始められそうです。

何かを始めるための根

オーストラリアに植生する「バンクシア」という植物の種子は非常に固い袋果という殻に覆われている。この種子は普通に地面に落とされても袋果が朽ちて芽が出ることはなく、発芽のチャンスは山火事の時だけ。


全てのものを焼き尽くし灰燼に帰する炎が、パンクシアにとっては次代にバトンを継ぐ生まれ変わりのチャンスになるというのは非常に興味深い。


全てのものを焼き尽くす炎に包まれることが、自分を覆っていたヴェールを外し、内包された力を覚醒させる機会になる点では、人間も似ているところがある。


キャリアの世界の用語で言えば、全てのものを焼き尽くす炎は、「トランジション」と言い換えられる。トランジションは、これまでのことが断絶する屈曲点となるイベント。それは、主体的に起こすものもあるし、受動的に起こるものもある。


トランジションは、「何かが終わるとき」「中立期」「何かが始まるとき」の3段階がある。ここで大事なのは、終わるということは何かが始まることと同義だということ。終わらせられていない人は、何も始められていないということなのだ。


先日、キャリア研修の講師をあるメーカーに行ったのだが、そこに見たのは「終わるもの」に固執し、ネガティブな感情を醸し出している人たちだった。


僕は、自分らしさを軸に自ら終わらせる意思決定を何度も行っている。一方で、彼らは人に与えられた機会を去来する想いをぐっと飲み込み、受け入れることを綿々と行っている。すると、終わりを認識しても「始まり」の根になる自己概念があやふや。結局、何かを会社に決めて言って欲しい…というスタンスが終始渦巻いていた。

 

2つの選択肢があったら、大変な方を選ぶといい、という哲学は内包された自分の力を覚醒させる転機を自ら創り出せ、という捉え方。そして、自分の人生を生きるための普遍的な法則ともいえるのだろう。