Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

人生の選択

同僚K嬢の結婚式。8/17の僕と1日違いの誕生日の彼女。エネルギーに溢れ天真爛漫、いつもコロコロと笑顔がたえません。太陽に向かって大きく咲き誇るソレイユのよう。今日もソレイユ似合いのいいお天気。


彼女は今年の3月に入ってきました。昨年11月に面接をしたときのことは、今でもよく覚えています。最初は、ちょっと硬いような感じでした。でも話していくと、信念が強くて情熱的。徹底的に考え抜く粘り強さを持っています。何よりなぜ組織人事のコンサルタントなのかという動機もかっしり筋が通っています。途中からは、判断というスタンスではなく、もし仕事を一緒に行うとしたらどんな雰囲気でできそうか・・という視点で対話のラリーをしていました。彼女が実務の中で編み出したフレームワークの話は特に興味をそそりました。


他の会社は受けていますか?と聞くと、他は受けていないといいます。
この子が来たら、いいな・・そう思って彼女と別れました。


好奇心のエネルギーは僕もかなり強いと思うのですが。彼女は僕以上。荒削りだけど、きっと伸びる。何より一緒に仕事をしたい。果たして、彼女は僕たちの会社を選んでくれました。


式は彼女らしい明るさ満点のものでした。彼女は、招待客の一人ひとりにコメントを書き添えたネームプレートをテーブルに置いていたのですが。そこに彼女は、僕と一緒に働きたいと考えて、この会社を選んだと書いてくれていました。入社したときにもそう言ってくれたのですが、ここにもそう書いてくれていました。


こういう出会いは、宝物です。彼女に選んでもらって良かったって、そう言ってもらえるよう頑張らないとね。f:id:ishibahomare:20180909003644j:image

修羅場の生命力

野生動物は病気になると食事を取らない。飢えが生命力を高め、病気の治癒につながることを感覚的に知っているから。

 人間においても、飽食を重ねた末に待っているのは、メタボな体と生活習慣病。豊かさは、生命力を却って低下させてしまう。同じように安定した雇用が社員の力を引き出していくのか。むしろ、修羅場や後がない状態に置かれたほうが、人は生き残りのために全知全能を使って打開策を考えようとする。

新規事業が成長できなかったとしても、自分がかけがえの無いピースでなくても、契約は打ち切られてしまう。いつも後がない。それが、自分の置かれた状況でした。

昆虫採集のように面白い事例は集めていました。後のない状況の中では、事業やサービス開発に向けたヒントを見つけようと、以前よりも目を皿のようにしてデータや事例を集めたわけで。そして顧客の課題に合わせ、リアリティをもって話せるようにする。人事部は、他社の事例にことさら飢えている。生き残りにおいては、自分の持ち味や強みに集中させていくのが一番。

面白いもので、様々な事例を集めて話すと、相手も内情を教えてくれる。開示の返報性というやつだ。わらしべ長者のように、事例が事例を集め、いつの間にかいろいろな事例を話せるようになった。すると、案件も付いてくるようになった。自分が手がけた事例が加わってくると、さらに案件を取れるようになった。

先週、今週と企業の人事部内の担当者向けに事例勉強会をさせていただいた。先月実施したオープンセミナーに出席した担当者が、内部のメンバーに聞かせたいと役員も含めて場を設けてくれたのだった。振り返ってみると、後のない状況で磨いたものが、働く環境を変えても大きな資産になっている。

もし、安定した環境で新規事業を手がけていたら、事業は開花し、僕自身も専門性を獲得できたのだろうか...多分、Noなのだろうな。

自分に似ている誰か

自分の容姿が気になる年頃の女の子。容姿に関する評価には敏感なところ。人の容姿を評する際にありがちなものが『あなたってXXに似てるよねという』というやつ。


この表現は、言う側は一つのハラオチ感の悦に入ることができるのですが、言われた側は時に微妙な感覚を残すもので。それはポジティブな例えであろうが、ネガティブな例えであろうが。それは、自分を比較ではなく絶対的な存在として見なして欲しいという感覚があるからなんだろうと…思っているわけです。


僕の娘は、友達から「斎藤工」に似てる!と言われることが多いそうで。言われてみると、確かに似ている…鼻と目がクリソツやん…爆


イケメン俳優に似てるなんて羨ましいわあ…とかいじると怒られるわけです。当たり前ですね…


そんな娘が、昨日はニマニマしながら、『今日ねえ「泉里香」に似てるって言われたんだぁ』とのたまうわけです。誰、イズミリカって?


綺麗な人じゃあないですか。で、いくらなんでも言ってくれた人は、盛りすぎじゃね…とか思いつつも。やっぱイケメン俳優より、モデルに似てるって言われた方が断然嬉しいんでしょう。


僕自身は、俳優とかに似ているとか言われたとしても、嬉しかったと思った記憶はないのですけどね…

 

 

 

フォーエバーヤング

1962年生まれのトム・クルーズ。今年56歳ですが、年齢を感じさせないエネルギッシュなアクションを披露してくれてます。好きなアクターが30年近く輝きを失わずに最前線で活躍しているのは、素直に嬉しい。しかも、昔から変わらず格好いいしなあ。


彼は学生時代にレスリングの選手を目指していたこともあり、シャープに鍛えられた肉体が一つの魅力。特にミッション・インポッシブルを始めてからは、肉体の強化ぶりが目に付きます。僕的に彼の映画で印象に焼き付いているのは、1983年公開の「栄光の彼方に」での腕立て伏せをしているシーン。何も持っていない青年が唯一できることは、自分の若い肉体を暇を見つけては鍛え、栄光を手にして煤けた街を抜け出すこと・・アメリカン・ドリームを目指す象徴的シーンです。


でもって影響されやすいので、昔から腕立て伏せをするときには、ジャッキー・チェンの「酔拳」かトム・クルーズの「栄光の彼方に」が過るわけです。単純ですね。


そして、トム・クルーズの何気ない仕草で良いと思うのが、全力で走るシーン。全力で走れるというのは、普段からのトレーニングと節制の賜物だと思うのです。ボディビルで肉体を作ることはできても、走るというシンプルな動作では誤魔化しができませんからね。

50代も半ばとなり、バリーシールやMI最新シリーズでは、さすがに顔の輪郭が丸くなってシャープさが失われてきたなとは思うものの、普通であれば40代くらいのレベル。やっぱり、食事やトレーニングで大切だなって感じます。普通なら、そのくらいの歳なら顔に限らず、全体の締りがなくなったオッサンだと思うけど、トム・クルーズはオッサンじゃない。


当たり前ですが、歳を重ねれば重ねるほど、分散幅が大きくなります。能力も体力も精神性も。50歳になったから体力ない・・小さい文字なんて読めないでしょう・・なぁんて一律に扱われたくないです。そういう人が平均的ではあるとは思うけど、あくまで平均の話。しかも、年齢のせいにされちゃ困る。それは、不摂生な生活を長く続けたからでしょう・・と。


アメリカは、年齢差別禁止法があるので定年制がありません。就職の際に年齢を聞くことも言う必要もありません。ですから、アンチエイジングがもてはやされるわけです。見た目がその人の年齢なのですからね。日本では、美魔女などと言って年齢とのギャップを取りざたして騒いでいるのとは質が違います。


何歳までにXXXをやろう、なんて本も売ってないと思うのですよね。日本も年齢というレッテルで物事を判断しない、早くそういう世の中になってほしいものだと思います。

背負った十字架

大きな転機に遭遇した方と一献をかわした。会社を超えた同志であり、恩人とも言うべき人だ。


好奇心が強く、幅広い物事に関心を持っているのがKさんの特徴。指向性や感性が僕と似たところがある。家庭の状況や抱えている問題なども似ていたりする。久しぶりの場に話は弾んだが、Kさんの深い傷はまだ癒えていないようだった。


クライアントとコンサルタントという関係を大きく超えた付き合い。かれこれ8年近くになる。前職での新規事業でのファーストクライアントだったKさんは、会社ではなく僕という個人に全幅の信頼を寄せ、様々な仕事を発注してくれた。発注額は累計で数億にはなるだろう。金額の大きさが信頼の大きさというわけではないのだが、僕もKさんの悩みに付き合い、大きく成長させてもらった。


サービスの種も何もなかった前職での新規事業。僕のことを破格のコンサルフィーで選定してくれたのがKさんだった。そこから、実績を積み上げた新規事業は大きく成長した。何もないときに、人が何を見て仕事を依頼するのか。それを肌で学ばせてもらった。


僕がプロ契約社員としての契約終了を通告されたとき、一番に報告したのものKさんだった。支援を継続できなくなることが、託してくれたKさんに一番迷惑をかけることだと思ったからだった。


違う会社であるにもかかわらず、Kさんは僕を鼓舞し、様々な支援をしてくれた。わざわざ、転職先を斡旋し社長を紹介し、面談をセットしてくれたり・・人の介在で面談に臨んだ経験など、前にも先にもないことだろう。


僕は、自ら見つけた新たなフィールドで経験を活かし、理解あるメンバーと共に再スタートをきることができた。Kさんは、契約を全て僕のところに切り替えてくれた。そうした会社は他にもあったのだが、ゼロからのスタートを余儀なくされた僕においては、仕事を発注してくれるということは、どれだけ大きな意味をもったことか。


そうして1年が経とうとしていた頃、僕はKさんから連絡を受けた。『聞いていただきたいことがあるのです。1年前の貴方と同じ状況に立たされることになりそうです』

 

聞けば、Kさんは組織リーダーの役割を更迭され、部下のいない役割に年度明けから変わることを告知されたのだそうだ。改革リーダとして身を粉に邁進してきた先での無情な意思決定。どうやら、急進的に改革を進めることに対して、快く思わなかった一人の役員が更迭の引き金を引いたらしい。彼の悲劇は、立場を擁護する実力者がいなかったこと。彼をよく理解する庇護者であった上長は、2年前に定年で組織を離れていた。僕のときと状況がそっくりだ。


彼の失意、落胆は大きなものだった。様々なものを犠牲にして、死にもの狂いで前に進んだ結果。会社を辞めたいと口にするKさんの気持ちをひたすら聞きながら、それでも長い目で見て理不尽さに耐え忍ぶことの意味も話した。


やはり、一つの会社に長くいた人において、価値を最大発揮できるのは、事情に精通し、社内人脈が形成された同じ会社にある。何より、失意のまま会社を辞めるのだけは止めて欲しかった。純粋に会社の哲学を愛し、事業に誇りを持つKさんを通じて僕もその会社のことが好きになったのだから…

実力主義とはいいながらも、個人の思惑が複雑に入り交じって物事が決まっていくのが組織。残念ながら個人の集まりである以上は、ルールや外形的価値基準より、個人の嗜好や損得といった利己の意思が時に優先し、形として現れる。

権力を持つ人間がこれをやるとたまったものではないが、人間の歴史においては権力者が自分を否定するものを粛清するという醜い行為は後を絶たない。ある意味、理念や経営哲学というのは、とかく利己的な意思決定や行動をする人間を戒め、組織の永続性を保つためにあるといってもいいかもしれない。


大きな転機に遭遇しながらも、却って以前よりも大きな活躍のフィールドを得た僕のことをKさんは心から喜んでくれていた。自分はまだまだトンネルを抜けていないけれど、またきちんと仕事が依頼できる立場に戻りたい・・


自分が抱える本当の苦しみを理解してくれるのは、同じような立場にある人間しかいないことをKさんは知っている。そして、僕等は転機に多く遭遇する可能性のあるミドル・シニアのキャリア自律支援がメインテーマ。自分に起きたことも、生きた学びとして昇華させていく使命がある。正義を貫いた人にしか、重い十字架は与えられない。だから、一緒に頑張りましょう…

持論と実践理論

相手が誰であろうが、どのような局面であろうがその人が主張するのが持論。相手が持っている問題を解決するために、事実に裏打ちされた論が実践理論。

 

個人的なバイアスが入っているかもしれないが、シニアのオジサンにおいては、持論を振りかざすことがコンサルティングだと勘違いしている人がままいる。

 

彼らが振りかざす論は、自分の過去の経験や少ないサンプルで成り立っている。そして、客観性より主観が相当に交じっている。そして、相手が求めていようが、求めていなかろうが、伝家の宝刀のごとく持論を抜いて振りかざす。

 

目的は、相手の課題解決をする事ではなく、話したいことを話しているだけで、軸は自己主張であり、承認欲求の充足。相手は年上だからと黙って聞いているから、刺さっていると勘違いして話しつづける。やれやれである。

 

コンサルティングは、帰納法演繹法を活用して課題を解決する事である。まずは、問題発見、課題定義がポイントであるし、ファクトとロジックに裏打ちされた情報を提供することが付加価値。ところかまわず、ジャイアンリサイタルをするなんて、言語道断。

 

しかし最近思うのは、老化の一つとして、自制心というものがなくなり、相手構わず自分の話したいことを話すという現象があるということ。こういう人が、意思決定をしたり、人の差配をする立場になったら、害悪以外の何物でもない。まあ、おじいちゃんとしていつも同じ昔話をするくらいなら、微笑んで許せるのだけど。

ニューヨークからの採用通知

この国では2つの顔が必要だ。

「個性を大切に」と学校は教える。

「空気を読め」と会社は言う。

けれど、私は私。自分だけの風を吹かせたい。

私は準備ができている。世の中はどうだ。

 

POLAキャリアフォーラムのキャッチコピー。未だにこういうコピーが山手線をジャックして流れる。女性をターゲットにあてたように思えるが、男性でも十分刺さるのではないだろうか。

 

持ち味を発揮して働いて行くためには、空気なんか読む必要がないところがいい。むしろ、空気を読む事なんて苦手。そういう会社では評価もされないし、自身もつまらないだろう。さて、どうするか?準備ができているかなんて、問うたところで勝ち目のないドンキホーテ。場の選択こそが大事なのだ。

 

保守的な就職をする僕の大学では、外資系はおろかコンサルティングファームに行こうとしていた学生などいなかった。もちろん、先輩もいない。果たして志望のところに内定を得たのち、選択の正しさを少しでも確かめたいと思い書店を巡った。今と違って情報は少なかった。

 

目に留まったのが、「ニューヨークからの採用通知」という本だった。雑誌anan連載の手記がベース。主人公は、企業に勤める一般職OL。単調で先のないキャリアを変えるべく一念発起。米国会計士の資格を取り、大手会計事務所のピートマーウィック(現KPMG)に就職の口を得る。内定を得て働き始めるまでの物語だった。

 

画一的に人を扱う世界から離れ、しがらみのない世界にキャリアを求める。同じ国際会計事務所でもあり、価値観が被るものもある…

 

果たして、僕は空気を読む必要のない会社に入り個性を活かしたキャリアを積むことができた。うちに、少しは空気を読めるようにもなった。

 

『そんな感じのままでも、働いていけるんですね…』

 

数年前に大学生の子に言われた。ちょっぴり嬉しかった。自分を曲げた変に達観した大人にはならないで欲しい。こういうバランスの悪い人でも何とかやっているのだから。

 

僕を暖かい目で見てくれた寛容な人達に感謝するとともに、冒頭のようなキャッチコピーがなくなる世の中になって欲しい。そうでなければ、働くことに夢を持つ子供がいなくなってしまうだろう。